苦しい顔をしても笑顔でも、開発の進み方は変わらないから──ファインダー越しに見た長島哲太×ダンロップの挑戦
毎戦のように乗り方を変えるほどの難しさの中で
ダンロップタイヤを3年で勝てるタイヤにする──。このプロジェクトの最初の1年が終了した。年間ランキングは10位。表彰台には届かず開幕戦の4位が最高位だった。 2024年シーズン、開幕戦鈴鹿で予選ポールポジション・決勝4位、第2戦もてぎでは予選6位・決勝6位で上々だったものの、第3戦SUGOからは転倒やダンロップタイヤの苦手とする気温の上昇もありリザルトが下降して行く。涼しくなり期待された最終戦・鈴鹿だったが11位とリタイヤに終わり今回も満足できるリザルトは残せなかった。 今年、4戦にわたって長島選手のレースを撮影させてもらった。このプロジェクトを外から見ている人間にとって、今年1年目の成績はかなり難しい状況だったのではと思えてしまう。長島選手はこのシーズンをどのように総括するのか聞いてみた。 「思っていた通りの難しさでした。今年に関して開幕戦以外は結果を追い求めるのではなく毎戦、走行ごとに実戦の場で新しいタイヤを試して行く状況でした。レースウィークの中でいろいろなタイヤを履いての繰り返しで、『良かった所』は引き継いで次に行くという開発作業を続けてきました。でも『そこが良くなったら他が悪くなったり』の繰り返しになったりして探っている感じでした。 今回の最終戦が終わって『やっぱりこういう方向だよね』という確認は取れたので、今年はタイヤの方向性を決める1年だったと思います」(長島) それでも、まだトップグループにはついていけない状況だ。時折見せる速さはあるのだが──。 「1発のラップタイムを狙うだけなら、もう少し詰められる可能性はありました。でもレースで言ったら『まだまだ手も足も出ない』状況です、もっともっと頑張らないといけないですね」(長島) 苦しい状況であることを潔く認める長島選手。常に新しいタイヤをトライし続けた今年の“難しさ”についてもう少し知りたくなり、長島選手の所属するダンロップレーシングチームウィズ・ヤハギの藤沢監督に聞いてみることにした。 「先週テストで評価したタイヤが今週の気温や他のサーキットのコンディションの中で使えるかどうか分かりません。今年は毎戦のようにそのような状況の中でレースを戦ってきたので、セッティングも苦労しました。そんな中で、哲(長島選手)がそのタイヤに合わせて毎回乗り方を変えていかなくてはならなかった所が、一番大変だったと思います」(藤沢) ファインダー越しにもわからなかった、ライダーの乗り方の微妙な違い。タイヤの特性の違いに合わせてライダーが乗り方まで変えていると気付けなかったことに内心で少し悔やしさも覚えながら、レースウィークの“本番”の中でセッション毎にタイヤを試しながら予選や決勝に向けてセッティング出すという複雑な作業をやってのけてきた長島選手に、改めて尊敬の念を抱く。 そしてもうひとつ、第3戦SUGOで事前テストから転倒が相次いだとき、藤沢監督はプロジェクト遂行のために大きな決断を下したという 「哲が評価できない体になってしまったら開発が止まってしまう。哲にはこれ以上リスクを負わせたくない。だから哲には70%から80%で(の力で)最終戦まで評価をし続けられる事が絶対条件だとSUGO終わりで判断しました」(藤沢) 藤沢監督はダンロップ側にもこの考えを話し了承を得た。もちろんダンロップもこのプロジェクトは長島選手がいなければ成り立たないことを分かっている。実はそんな“難しい”状況の中で行われていた今シーズンのタイヤ開発だったのだ。 「まず評価基準をそこに持って行って、トライを進めて行ったのが今シーズン。タイヤのベースを作って行く所は当然やりたかったんですが、タイヤのベースを作るためのトライを最優先で進めましたから、それをレースの中で最大限生かした所でやっぱり……。(そんな中では)今年の順位は受け入れられる順位なんじゃないかなと思います」(藤沢) 長島選手に今年求められていたのは、各開催サーキットのさまざまな路面状態でレース距離を最後まで走り切り、タイヤのデータを持ち帰ることだった。レーシングライダーなら少しでも順位を上げたかったに違いないが、その気持ちをグッと堪え、一歩一歩データを積み重ねて行くのが今年の長島選手に与えられた任務だったのだ。焦らず、確実に、淡々と。 私がピットで見た長島選手は目先のタイムや明日の勝利を目指しているのではなく、2年後の目的地を見据えていたのではないだろうか。藤沢監督の話を聞いたことで、ピットで見た長島選手の表情に私なりに答えが出たような気がした。