もうすぐ千円札の顔を交代する野口英世は何をした人? 実は黄熱ではなく梅毒での功績が評価される研究者、今も引き継がれるガーナとの縁
7月3日から新紙幣が発行され、千円札の顔は野口英世から北里柴三郎に交代する。ただ改めて野口英世がどうすごいのか問われると答えに困ってしまう人も多いのではないだろうか。野口は細菌学者で1928年にアフリカの現在のガーナで黄熱の研究中に感染して51歳で殉職した。 【写真】野口記念医学研究所を視察し、野口英世のレリーフ前で記念写真に納まる岸田首相ら
野口が残した成果をたどる機会を得て現地を取材したが、ガーナでは一般的に知られているわけではなさそうで、売店の男性店員に「野口英世を知っているか」と聞くと「知らない」と言われた。一方、首都アクラには野口の名前を冠した研究所や道があって―。(共同通信=村川実由紀) ▽実は梅毒で成果、黄熱では勘違いも 黄熱研究のイメージが強い野口英世だが、福島県猪苗代町にある野口英世記念館の森田鉄平学芸員は「梅毒の研究が最も評価されている成果です」と説明する。ノーベル賞の候補者にも選ばれていた。 梅毒は細菌性の性感染症。日本では3年連続で最多を更新するなど近年増加傾向にあり、深刻な問題となっている。感染して早期にしこりや発疹といった症状が現れ、進行するとまひなど神経に障害が起きる恐れがある。当時はこうした神経症状の原因がはっきり分かっていなかった。そこで米ロックフェラー医学研究所で研究していた野口が1913年、患者の脳を調べて梅毒を引き起こすスピロヘータという病原体の存在を証明した。後に検査や治療法を開発する足掛かりとなった。
拠点にしていたアメリカで成功を収め、新たな感染症の研究課題に挑戦することになる。中南米で大流行していた黄熱だ。1918年にエクアドルへ。渡航してすぐに原因を突き止めたと発表してワクチン開発につなげた。しかし、この発見にはすぐに疑惑の目が向けられた。他の研究者はワイル病という他の病気の病原体と勘違いしたのではないかと指摘。実際、後にこの発見は誤りだったことが発覚した。 自分の研究成果が正しいと信じていた野口は1927年、疑惑を払拭しようと研究のためアフリカに渡った。その翌年、現在のガーナで黄熱にかかり亡くなった。「われわれは黄熱のことをまだほとんど分かっていないね」と言い残したという。 実は黄熱を起こす病原体はウイルス。とても小さく、野口が使っていた当時の顕微鏡では見つけられるはずはなかった。 ▽研究の縁というギフト 結局ガーナで取り組んだ黄熱研究では芳しい成果を残せなかった。ただ、野口はガーナと日本の縁という大きなギフトをもたらした。その一つが野口記念医学研究所。ガーナ大学の1機関として日本の資金協力で建設された。日本の大学とさまざまな共同研究も行っている。敷地内には東京医科歯科大学の共同研究センターがあり、日本人研究者の拠点になっている。