全米女王・笹生優花 超ストイックなアメリカ生活に密着「家族がいたから強くなれた」
■プロになる…父娘でフィリピン移住
そんな彼女は今年の全米女子オープンの優勝インタビューで「家族の支えなしには、ここにいられなかった」と語りました。 笹生選手が生まれたのはフィリピン北部の都市・サン・イルデフォンソ。日本人の父とフィリピン人の母の間に生まれました。幼少期をここで過ごし、4歳の時、家族全員で日本に移住します。 笹生選手 「日本に来て日本語が全然しゃべれなくて友達もいなかったので、会話できないのって辛いこと。そんな中ゴルフがあった」 初めての日本で戸惑う彼女にとって、唯一の心の拠り所が父の影響で始めたゴルフでした。その頃の様子を、父・正和さんはこのように話します。 正和さん 「普通子どもはボール打つのが嬉しくなるんですけど、ずっとやってると飽きて、ご飯食べようとか帰ろうとかって言うんですけど、(夏休みに)42~3日毎日練習場に行ったら、自分からご飯食べようとか帰ろうとか言わなかった。それで親としては本当にゴルフが好きなんだろうなと」 すっかりその魅力にはまると、8歳で本格的にゴルフに取り組み始めます。するとすぐに、一つの目標を描くようになりました。 笹生選手 「石川遼さんだったり宮里藍さんが日本で何回も優勝していて、それをテレビで見て『プロになりたい』って言ってました」 正和さん 「『プロになって世界一になりたい』とか言っているから、プロ目指すといろいろなことを諦めなくてはいけないよって最初は反対したど、ずっと『プロになりたい』って泣いて騒いでいたんで」 そんな娘の決意を聞いた正和さんは、その翌年、大きな決断を下します。ゴルフの練習費用が抑えられ、気候も温暖なフィリピンに2人だけで移り住んだのでした。
■「親が助ける義務がある」 食事も父が担当
こうして父と娘、二人三脚で始まった壮絶なトレーニング。ボクシングに野球。実はボールを追う笹生選手の足には片足2キロずつの重りが。 こうした練習は全て正和さんが考え、重りを着けたまま毎日行っていました。 正和さん 「父親は娘に『嫌だ』とか恨まれるのは嫌。教えるこっちも辛い。子どもが泣き泣きやる時もあるし、つらい時もある。でも夢が世界一って言うんだから親が助ける義務があるからやっていた」 そんな父の教えが実り、笹生選手は2019年、日本のプロテストに一発合格。2021年には史上最年少19歳351日で全米女子オープンを制し、アメリカツアーに本格参戦をしたのです。 そこでも、父と娘は再び日本を離れ、アメリカへの移住を決断。寂しい思いをさせまいと、笹生選手のそばにはいつも正和さんがいました。 幼い頃から、食事を作るのは今でも正和さんの担当です。栄養士からのアドバイスを参考にメニューを1つ1つ考えます。 正和さん 「3食は大変だよ。でも子どもが頑張りたいっていうからさ、やるしかないじゃん。ゴルフのことに関してはもう教えらんないからさ。ジュニアの時はおにぎりを作って昔は練習に行っていた」 この日の朝食はトマトとレタスと卵の炒め物、キムチに納豆、ハム、みそ汁など合計9品。朝食にもかかわらずこれだけの充実ぶりです。