反則タックル問題で関東学生連盟が会見(全文1)「内田さんが黒と言えば黒」
調査により規律委員会が認定した事実の報告
ここから、調査により規律委員会が認定した事実をご報告差し上げます。当該選手は日大豊山高校でアメリカンフットボールを始めました。高校2年のときに日大でディフェンスラインの選手だった井上コーチが、現井上コーチですね、が、同校アメリカンフットボール部の監督となり、アメフトの楽しさを教えてもらいました。井上氏は厳しい中にも親しみやすさがあり、当時の選手たちから人気がありました。当該選手も尊敬していました。高校時代はアメフトがとても楽しかったと言っています。当該選手が高校を卒業して大学となった2016年、井上氏は日大豊山高校アメフト部の監督を辞め、フェニックスのコーチとなりました。 内田氏は2003年から2015年まで日大フェニックスの監督を務め、一度退きましたが、2016年シーズンの成績が日大にとって不本意であったため、これは関東1部リーグTOP8の4位という成績でしたが、てこ入れのために2017年に再登板することになりました。ここでチームの雰囲気ががらりと変わりました。内田監督の指導はとても厳しく、2016年に比べて練習時間は長くなり、走る量は格段に増えました。コーチたちの厳しさや態度も変わりました。コーチたちは皆、内田監督を恐れ、自分の指導者信念を曲げてでも監督に盲従しました。白いものは、内田さんが黒と言えば黒なんだ、と公言するコーチもいました。 フェニックス監督であるばかりが、学校法人日本大学の常務理事、人事担当でもある内田氏の言うことは絶対であり、誰も何も言えない状況でありました。内田監督の気に障ることがあると、コーチでも選手でも、ある日、突然辞めさせられてしまうことがあるからです。このようにコーチですら何も言えないのであるから、選手が内田監督に物申すとか、指示、指導に従わないというのはあり得ないことでありました。どんな理不尽であっても、はい、と返事して実行するのが、内田フェニックスの当然のおきてでありました。それに嫌気がさして、2017年の春には約20名の選手が、自ら部を去っていったそうです。 高校時代にアメフトが好きになった当該選手は、サイズもありセンスの良いプレーヤーで、日大フェニックスでも1年生のときから試合出場機会がありました。ただ、荒っぽい言葉を発したり、闘志を前面に出してプレーしたりするタイプの選手ではなく、内田監督が好むタイプではなかったのかもしれません。 内田監督になってからの日大フェニックスは練習が半端なく厳しく、コーチ陣の指導も厳しくなり、選手は常に肉体的にも精神的にも追い込まれていました。当該選手は2年生のときも試合出場機会があったが、だんだんアメフトが楽しいものではなくなっていきました。 失礼しました。高校時代に好きだった井上コーチは、内田監督の影響でどんどん厳しい、親しみも感じられないコーチに変わっていき、当該選手はさみしさを覚えていきました。そんな中、本年6月に中国ハルビン市で開催される第3回世界大学アメリカンフットボール選手権大会のトライアウト、これは代表選考会ですね、が、3月から4月にかけて行われました。当該選手は最終選考を通り、4月25日の最終発表で、世界大学選手権の日本代表に選ばれました。家族や友人にも祝ってもらい、とても誇らしい気持ちになれ、忘れかけていたアメフトの楽しさを思い出すことができたと語っております。 内田監督は有望な選手を精神的に追い込んでさらに頑張らせ、もう一歩上のレベルまで向上させるという指導スタイルを好みました。見込んだ選手、活躍しそうな選手を捉えて、全員の前で名指しで酷評し、結果を出さなければ干すぞ、すなわちレギュラーから外して試合に出さないという意味、と、圧力を掛け、ひたすら厳しい練習を課し、時に理不尽とも言える要求をして精神的にも圧力を掛ける。これが対象者を変えて何度も繰り返させていました。 選手たちの間では運悪くこの対象者になってしまうことを、はまる、と呼んでいました。はまったときに受ける精神的重圧は相当なものであり、経験した者たちは異口同音に、もうやめようかと思った、地獄だったと思いだしております。だが、はまっても耐え抜いて結果を出した選手の中には、今となってはあれもいい経験でした、強くしてもらいましたと内田監督を尊敬する選手もおりました。 2018年春のシーズンで対象者、これははまった人ということですが、に選ばれてしまったのが当該選手でした。ディフェンスコーチへのヒアリングによれば、当該選手は精神的に弱い。これは穏やかで優しいという意味です。ので、チームを引っ張る最上級生になる前に鍛えておく必要があったとのことであります。 【連載】反則タックル問題で関東学生連盟が会見 全文2へ続く