「涙は飾りじゃないのよ」「人生は浪花節だよ」だったら絶対ヒットしてない説
ここから先は日本語に関する限り、「後置文」という用語を使うことにする。ちなみに、以下で述べるのは私が先行研究をいくつかざっくり眺めて理解したことにすぎない。時間の都合ですべての先行研究に目を通せなかったし、そもそも私の理解が間違っている可能性もあるので、そのあたりはご了承いただきたい。 先行研究を眺めて分かったのは、後置文というのは意外と複雑な現象だということだ。雑にまとめれば、後置文には大きく分けて以下の2つがある。 (1)文脈から見て古い情報を後ろに持っていくタイプ (2)新しい情報を後ろに持っていくタイプ つまり、「分かりきったことだから後回しにした」のか、「新しい情報だから後で言った」のかという違いである。 (1)のタイプの存在を指摘したのは久野暲(注1)である。久野は次のような例を挙げている。 本当にだめだね、君は。(注2) この文は、「本当にだめ」なのが「君」だということが、話し手にとっても聞き手にとっても明らかなときにだけ使える。つまり「君は」は、話し手と聞き手の双方にとって分かりきった古い情報である。 注1 『談話の文法』、大修館書店、1978年。 注2 前掲書67頁
それゆえに、本来は「本当にだめだね」だけでも通じるが、相手がきちんと理解できているかどうかを確認するために、「君は」を付け足しているわけだ。 今まで見てきた例で考えると、飛龍革命の藤波さんの台詞「もっと信頼してください、俺のこと」なんかは、この「古い情報を後ろに持っていくタイプ」に分類できそうだ。 この文において「俺のこと」は分かりきった情報なので、「もっと信頼してください」だけでも藤波さんの言いたいことは通じる。しかし、もし猪木が分かっていなかったら困るので、一応確認のために「俺のこと」を追加していると考えられる。 つまり藤波さんの思いを代弁すれば、「猪木さん、俺が『信頼してください』って言ってるのは、もちろん他ならぬ俺のことですよ」という感じだろう。このタイプの後置文では、言わなくても分かっていることをあえて言うわけだから、ある種の強調が生じることになる。 ● 新しい情報を後ろに持っていく例 「私言ったの、結婚したいって」 久野は(1)のタイプの後置文のみを認めていたが、高見健一(注3)および江口巧(注4)は、先に挙げた(2)のタイプの存在を指摘した。 私言ったの、結婚したいって。(注5) おい、見たぞ、おまえがあいつに車の陰で金を渡しているところを。(注6) 注3 高見健一『機能的構文論による日英語比較─受身文、後置分の分析』、くろしお出版、1955年。 注4 江口巧「日本語の後置文─情報提示の方略」、『言語文化論究』12、2000年、81-93頁。 注5 高見の前掲書、232頁。 注6 江口の前掲書、84頁。