「涙は飾りじゃないのよ」「人生は浪花節だよ」だったら絶対ヒットしてない説
たとえば、ビンタの応酬の箇所では、次のような会話がなされている。 猪木「やれるのか、お前、本当に」(藤波にビンタ) 藤波「やりますよ(猪木にビンタを張り返す)。もっと信頼してください、俺のこと」 「やれるのか、お前、本当に」も、「もっと信頼してください、俺のこと」も倒置法の文である。さらに藤波さんは、自身に謎のヘアカットを施す際にも「いらないですよ、こんなもの」と言い放っている。 「こんなもの」が何かは不明ではあるが(髪の毛のこと?)、どの発言も、普通の語順の「お前、本当にやれるのか」や「俺のこと、もっと信頼してください」、「こんなものいらないですよ」にはない迫力がある。 ● 語順をひっくり返しただけなのに なぜ強いインパクトが生まれるのか 倒置法は、プロレス以外にもさまざまな場所で効果的に使われている。たとえば昭和のヒット曲には、『浪花節だよ人生は』とか『飾りじゃないのよ涙は』のように、タイトルに倒置法が使われているものがある。もしこれらが『人生は浪花節だよ』や『涙は飾りじゃないのよ』だったら、ほとんどヒットしなかったのではないだろうか。 また、志村けんのコント「変なおじさん」でも、変なおじさんに詰め寄る警官の台詞は「何だ君は!」であって、「君は何だ!」ではない。「何だ君は!」だからこそ、それに続く変なおじさんの「何だチミはってか!?」という返しも光るのである。
こんなふうに倒置法の文は、普通の語順に戻したときとの差が大きく、そのギャップを味わうのが楽しい。私の感覚では、メイクが上手な人の化粧前と化粧後を比較する感じに近い。ただしメイクは手間がかかるものであるのに対し、倒置法は単に語順をひっくり返すだけで大きな効果が得られるのだから面白い。 1つ悔やまれるのは、ラジオの収録中、清野さんに「なぜ、倒置にはそういう効果があるんでしょう?」と訊かれて、きちんと答えられなかったことだ。そのときは「ほんと、何でなんでしょうねえ~」とヘラヘラ笑ってごまかしたが、帰宅してから「あれはまずかった」と思った。答えられなかったのは知らなかったからで、知らなかったのはろくに調べたことがなかったからだが、これは失態だ。 専門家といっても知識にムラがあるのは仕方のないことだが、自分から話題に出しておいて、いざ何か尋ねられると答えられないというのは恥ずかしい。こんなふうだから、私はやっぱり研究者に向いてないんだなあと思う。 ● 倒置が起こっている文には2種類ある 「古い情報を後ろに持っていく」場合 そこで遅ればせながら、少しばかり関連文献を読んでみた。ちなみに言語学や日本語学では、倒置が起こっている文を「後置文」と呼ぶことが多いようだ。日本語の文の中では述語が最後に来るものだが、この手の文では「述語でないものを述語よりも後ろに置いている」から、そのように呼ばれるのだろう。