「時間がかかっても必ずまた戻る」新酒に決意 能登半島で被災の酒蔵「宗玄酒造」(珠洲市) 地震発生から1年
奥能登3市町では全11の酒蔵が全壊や一部損壊など何らかの被害を受けた。地元で再開できたのは2社だけ。その土地の水や米を使って、農家や漁師ら地元住民が冬の間に従事し、発展してきた酒造り。今季、富士宮市の牧野酒造で杜氏を務める能登杜氏組合長の四家[しやけ]裕さん(67)=石川県能登町=は「奥能登は杜氏と蔵元の社長が兼務した小さい酒蔵が多い」と話す。醸造した9割が地元で消費される酒蔵もあり、地域と密接に結びつく。「昔は人が集まれば『おらが酒、飲んでみろ』と酒自慢が始まった」。体になじみ、地域の食材とも相性がいい。文字通りの地酒文化が奥能登には根付いている。 酒蔵が全壊した酒造会社は、石川県内外の酒蔵に協力を求め、醸造を続けているところもある。「時間がかかっても必ずまた戻る」。共通の思いだと四家さんは確信する。能登で醸造された酒を酌み交わす日をそれぞれに願う。
<メモ>能登杜氏組合によると、組合員は約200人で、うち杜氏は75人。ピーク時の1960~70年代は組合員2千人で、杜氏は200~300人だった。静岡県内では今季、牧野酒造と志太泉酒造(藤枝市)で能登杜氏が従事する。土井酒造場(掛川市)では能登流をくんだ杜氏が酒造りの現場を率いている。初亀醸造(藤枝市)でも過去に能登杜氏が活躍した。牧野酒造の牧野利一代表(64)は能登杜氏について「食材を生かす酒造りが得意。勤勉でものづくりにたけている」と評価する。