「峠の釜めし」でおなじみの荻野屋が目指す、その先の世界とは?
●駅弁は「オワコン」なのか?
―ニッポンの駅弁をどのように盛り上げていきたいですか? 髙見澤:そもそも「駅弁」という言葉や表現は当初は存在しませんでした。駅弁は(移動に時間がかかり、車内で食事の必要が生まれて)結果的に生まれたものなんです。なので、結果として続けばいいんです。であれば、会社として長く続くことが結果として文化になり、象徴になっていけばいい。それを「駅弁」として意図的に盛り上げようとするのは、目の前のお客様を大切にしないことと同じで、本末転倒になってしまいます。本質はその先にあります。 ―駅弁は“オワコン”ということですか? 髙見澤:「駅弁文化」は大切なものだと思います(大切だから盛り上げなければならないということではありません)。駅弁というのは、旅のお客様の利便性を上げるために当時国から権利をいただいて、私たちの会社が駅で弁当を販売することができたことから、それが「駅弁」という括りになったと思います。そして、その結果、私たちの会社の現在があります。そういう意味で、「駅弁」が会社の基礎にあるのであるから、その文化は大切にしなければならないと思います。 一方で時代とともに駅で売っている弁当が「駅弁」という括りになってきている時点で、私は「駅弁」という括りが終わっていると思うのです。当社はじめ多くの会社が弁当を販売していますが、駅だけで販売していませんよね。「駅弁」を盛り上げることで、会社の発展・存続がなされていくのであれば、盛り上げる必要もあると思いますが、今現在横川駅の「駅弁」としての販売量は全体の数%しかありません。そもそも「駅弁」の盛り上げにこだわりすぎていては、会社の存続が危うくなると思います。過去に「駅弁」ということにこだわって、駅での販売にこだわっていたら荻野屋はなくなっていたかも知れません。 私自身は、それを盛り上げるよりも為すべきことが多くあると思っています。いまでは当社の代表商品である峠の釜めしは、もともとお客様の要望にこたえる形で生まれています。それが「駅弁」という括りで捉えていただくのは、特に問題ありませんが、決して、過去から「駅弁」を盛り上げるために生まれたものではありません。お客様に喜んでいただくために生まれたものです。だからこそ、「駅弁」を盛り上げるということを目的にしたくないのです。 これからも時代とともに変わっていくお客様の要望にお応えしていく会社であり続けることが、大事だと思います。結果的に「駅弁」として括られている荻野屋の商品がお客様から支持されて、「駅弁」が盛り上がればそれはそれでいいのではないかと思います。