『陪審員2番』SNS私刑時代にクリント・イーストウッドが正義を問う
私刑時代に「正義」を問う
劇中では、公正な司法と裁判を象徴する「正義の女神像」が何度も映し出される。手にした天秤で真実を正確に測り、剣=力をもって正義を実行するときは、先入観に惑わされず心の眼で判断せねばならないという、“法の下の平等”のアイコンだ。サイスの弁護士エリック・レズニックの、「司法制度は完璧じゃないが、ないよりはマシだ」という一言はこのことに響き合い、終盤でキルブルーが問う言葉も、“正義”が必然的にはらむ多面性――明かされる真実は誰にとっても不都合かもしれない――をはっきりと言い当てた。 名作『グラン・トリノ』(08)や『許されざる者』(92)などをはじめ、イーストウッドは数々の映画で「罪」や「過去」をテーマとして描いており、近作『リチャード・ジュエル』(19)や『 ハドソン川の奇跡』(16)では「疑念」や「裁き」を前面に押し出した。『陪審員2番』はそれらの要素がみごとに調和した集大成であり、また、時代の空気とも切り結んだ一作だ。 昨今、世の中では正当な手続きや根拠がないまま、感情的に“人が人を裁く”出来事が日常的に繰り返されている。マスメディアやYouTuber、インフルエンサーなどが、己の利益や承認のためにセンセーショナルな物語と話題を提供し、その先入観ありきで、事実や根拠を検証する手段さえもたない人々が、なんの責任も持たないまま攻撃や中傷を重ねてゆく、いわば“SNS私刑時代”だ。 そんな時代に、本作はひとつの裁判を描くことで、人が人を裁くことの困難と、正当なプロセスの重要性を突きつける。人を裁くことには、相応の責任と、その結果を受け入れる覚悟が必要なのだと訴える。 “いい人”であるケンプの闇と動揺をわずかな挙動と表情で伝えるニコラス・ホルト、イーストウッド&エイブラムズの精神を二分したかのような検事役トニ・コレットと弁護士役クリス・メッシーナの演技は、それ自体が映画のすべてを語りきらんとするかのよう。心地よい編集リズムやラストシーンの切れ味に至るまで、達人による華麗な演出も堪能してほしい。 [参考文献] ・Juror #2 Screenwriter Jonathan A. Abrams on How His First Produced Screenplay Became a Clint Eastwood Movie https://www.gq.com/story/juror-2-screenwriter ・Jonathan Abrams Wrote ‘Juror #2’ in the Tradition of Clint Eastwood’s ‘Mystic River’ ― Then Eastwood Agreed to Direct It https://www.indiewire.com/features/interviews/juror-2-screenwriter-jonathan-abrams-clint-eastwood-1235063573/ 文:稲垣貴俊 ライター/編集者。主に海外作品を中心に、映画評論・コラム・インタビューなどを幅広く執筆するほか、ウェブメディアの編集者としても活動。映画パンフレット・雑誌・書籍・ウェブ媒体などに寄稿多数。国内舞台作品のリサーチやコンサルティングも務める。 『陪審員2番』 U-NEXTにて独占配信中 © 2024 WarnerMedia Direct Asia Pacific, LLC. All rights reserved. Max and related elements are property of Home Box Office, Inc.
稲垣貴俊