質問「医師です。仏教は現代の医療に生かせますか?」 - 「我知(がち)―お坊さんに聞いてみる」(2024年12月4日)
【質問】 奈良市立奈良病院で働く総合診療科の医師です。仏教を実践の臨床で生かすにはどのようなことを意識したらよいでしょうか? 奈良はハンセン病の救済をされた忍性(にんしょう)菩薩の生まれた地です。現代における臨床仏教の実践はどうあるべきか、興味があります。ご意見をください。(30代男性) 【回答】 辻 明俊(興福寺 執事長) 【我知なヒント=祈りと行動の均衡を心に留める】 仏教では、生まれたときから四百四の病を体に宿していると考えます。不摂生を続けたり、年を重ねると、あれやこれやと不調が内外に現れます。そんな私も、今年の健康診断結果は、なんと要精密検査の【E判定】。詳しく聞くために渋々出かけると、淡々と説明されて、日々の生活を見直しました。 日本人の平均寿命は85歳ぐらいでしょうか。それでも健康寿命は短いように思います。病気になると健康のありがたさを痛感します。なぜ、もっと身体の声に耳を澄ませなかったのか、そんな後悔をする人は多いのではないでしょうか。しかし、生きているからこそ、老や病、そしてお迎えはやってきます。
およそ2500年前、若き日のシッダールタ(のちの釈尊)は、生存における避けることができない老・病・死に苦悩し、この現実からの解放を求めて出家修行を決心します。そういうこともあって、仏教はとりわけ四苦(生老病死)に対して、いつの時代も目をそらさず、人々の憂苦に向き合ってきました。忍性菩薩はもちろん、奈良時代に活躍した行基菩薩の【福祉の精神】、鑑真和上がもたらした【医術と薬の知識】は、今も脈々と受け継がれています。 中世の興福寺僧侶が書き綴(つづ)った「多聞院日記」には、数多くの薬名や治療に関する記述があり、相当な知識を有していたことが分かります。もちろん今の医療の観点からでは、適用できない処方もありますが、昔の人たちは病を悪霊の仕業と考え、祈りの力によって平癒(ゆ)を願い、また自然を観察して治療方法を導き出しました。 現代では医学の発展もあり、微細な世界は解明されつつありますが、われわれ僧侶は神仏の照覧(視線)を意識しています。見えない世界を恐れ、感ずることができたのは必然だったのかもしれません。病に対する思念や治療は、(神仏の)陰の力と素直にうなずけたのでしょう。