4年で戦力外通告、でも「意外とスッと入ってきた」 国立大学から中日の育成選手になった左腕が見た「プロの投手の凄み」
▽1軍で戦う選手との違い 周囲はすごい投手ばかり。キャッチボールをする度にレベルの高さを実感した。 「又吉(克樹)さん(現ソフトバンク)はムチのようにしなって飛んでくるボール。谷元(圭介)さんと祖父江(大輔)さんは制球が良く、ボールが胸にしか来ない。(小笠原)慎之助のボールは途中から加速する。目の前でガッと来る球。勝野(昌慶)は勢いがあってボールが大きく見える」 1軍で結果を残す投手には、それぞれに特長があった。プロで生き残っていくための武器を見いだすことができないまま、4年目の昨季も12試合で防御率6・97と成績は上向かず、戦力外通告を受けた。 成功体験がなかったわけではない。昨季終盤には、通っていた鳥取市のトレーニング研究施設「ワールドウィング」でヒントを得たツーシームを軸に2軍戦で好投できた。自分の中で納得できる一つの形を見つけて、プロ野球人生を終えた。 ▽「野球ができたことに感謝」
1軍戦に出場できる支配下選手を目指してもがき続けた4年間。うまくいかないことも多かった。 「正直自分の中であの時こうすればというのはあるけど、手を抜いていたわけじゃないので。その時の最適解を目指してやっていました」 悔しさはあっても、やれるだけのことはやったというすがすがしさが漂った。 ただ、世話になった人や身近で応援してくれた人たちへの報告だけは苦しかった。「連絡していくうちにだんだん悲しくなるんですよ。しんどいと思ってしまいました」 選ばれた者しか立てないプロ野球の舞台で戦ったことは財産だ。 「高校、大学で野球をやめる人が多いじゃないですか。自分の限界が見えて、うちひしがれてあきらめたり。それと同じ経験をプロ野球という場でしたのかなと思います。26歳まで野球ができたことに感謝しないといけないですね」 現役を続ける道は模索せず、好きだった野球をやめることを決めたが、「野球がないとだめっていうのはなかったですね」と再出発へ向けてきちんと気持ちを整理できた。「(プロ野球での4年間が)よかったというのは後々の自分が決めるんで。そういう風に思えるように頑張らないと」と決意を込めた。