アイドルグループの歴史を変えた、夏まゆみの「叱り方」――モーニング娘。の「育ての親」と呼ばれる理由
指導者には「嫌われる覚悟」が必要
モーニング娘。に2期として加入した保田圭さんは、1998年5月、2ndシングル「サマーナイトタウン」発売前のダンスレッスンで、夏先生と出会った。集まったのは「歌手」になりたい女の子で、保田さんふくめ「アイドル」になりたいわけではない。「やりたいこと」とは違うことに対し簡単に音を上げる教え子たち。夏先生の指導には自然と熱が入り、当時テレビで放送されていたレッスン風景は緊張感であふれていた。 保田さんはこう振り返る。 「とにかく『できない』という言葉を口にすることを、夏先生はよくないとよくおっしゃっていました。ダンスだけではなく、前向きさや諦めない気持ちを、卒業するまでの5年間で教えていただいたんです」 モーニング娘。のように大人数を指導する場合では、一人ひとりのスキルや課題も異なってくるが、夏先生は「スキルの高さ」だけでメンバーを評価することはしなかった。
「その時々のメンバーのメンタルやルックスの状態をとてもよく見ていました。若い子たちなので結構ムラがあるんですけど、『いまキラキラしてる子はどの子なんだろう』というのをちゃんと見てくださるんです。スタジオで『いまはこの子がキラキラしてる』って感じたら、そこで立ち位置を変えるほどでした」 夏先生は「言葉を選びながらもちゃんと叱る」という姿勢で教え子と対面してきた。保田さんは涙を浮かべながらこう語る。 「夏先生は、時にスタジオで厳しい言葉を正直にぶつけてくださる瞬間がありました。少しでも人に好かれたいと思っていたらぶつけられない言葉を、すごく正直に……。そういう先生に出会えたのは、本当に宝物だなと感じます」 夏先生は「指導者には嫌われる覚悟が必要だ」という考えを持っていた。放った言葉によって、自分がどう思われるかはわからない。しかし「教え子の成長のために」という姿勢があれば、教え子たちの心が動くことを知っていた。
「一対多数ではなく一対一を人数分」で接する
夏先生はダンスだけではなく、オーディションの「選抜」にも関わり、安倍なつみや前田敦子らをセンターに抜擢したことでも知られる。 デビュー曲「LOVEマシーン」で13歳にしてセンターを務めるなど、その後のモーニング娘。の大躍進に大きく貢献した後藤真希さんとは、3期のオーディション合宿で出会った。後藤さんは夏先生の指導をこう語る。 「視線が他の方とは違いました。他の振付の先生の場合、例えば13歳の私にはそれに合わせた視線や言い方をするんですけど、夏先生は『この世界入ったならプロなんだから』という感覚で対等なんです」 メンバーの年齢や環境でその指導に差をつけない。だからといって、画一的な指導をしていたわけではない。 「紅白などの大きい舞台では、パフォーマンス前にひとことくれるんです。『モーニング娘。は初期メンバーがいなかったらなかったんだよ。だけど、後から入ってくるメンバーがいなかったら、今がなかったんだよ』って。それぞれを大事に思わせてくれる発言をちゃんとしてくれるんです。終わった後は、『本番のここがよかったよ』とか、いいところを褒めに来てくれるんですよ。細かいところを見てる!」