「子ども3人の父親役もこなさなければ」シングルマザーの奮闘は病で崩壊した 原発事故で県外避難、12年後「再建格差」の現実
古部さんは震災後、被災地から関西地方に避難する人たちの支援を続けてきた。普段から避難者向けのイベントを開いて避難者と連絡先を交換しており、生活が崩れていないか、定期的に電話してチェックしている。 古部さんによると、政府は全国にいる避難者の情報をまとめるシステムを運営しているが、一部の自治体を除き支援団体には共有されていない。このため、現状では支援団体とつながれた人の中でしか要支援世帯は把握できていない。「氷山の一角だ」と指摘する専門家もいる。 古部さんは明かす。「定期連絡で要支援世帯を『発掘』しているのが現状です」。佐藤さんの場合も同じだった。 古部さんと仲間はまず佐藤さん宅に行き、掃除や洗濯といった家事をした。住環境を整えないと、気持ちが沈んだままで再建に動き出せないと考えたからだ。足の踏み場もなかった部屋がすっきり片付いた。佐藤さんは感謝している。「軽トラック1台分くらいのごみを捨ててもらった」
さらに訪問看護も受けるようになった。看護師が自宅を定期的に訪ねて様子をみてくれる。「外から人が訪ねてくることで、自分がぴりっとできた。部屋をきれいに保たなきゃと思うようになった」 古部さんは週1回、佐藤さんに電話で連絡を入れ、生活保護を受給する手続きも支援した。住環境と経済面が安定してくると、佐藤さんは再び通院できるようになり、体調も戻っていった。 佐藤さんが当時を振り返ってこう言った。「私は古部さんに会えてラッキーだった。思えば福島に帰るつもりで、大阪で深く付き合う人もつくっていなかった。窮地に立って、自分が孤立していたことに気付いた。避難で余裕がなくなり、新しいつながりや信頼できる人をつくるのは難しかった」 ▽生活崩壊の連鎖 県外避難者が苦しむ理由について、早稲田大災害復興医療人類学研究所の辻内琢也所長に尋ねた。 ―県外避難者の中には今も生活再建ができず苦しんでいる人がいます。なぜでしょうか。