折田楓氏、「ダサい」への強烈な嫌悪感が招いた“奇怪な行動”…選挙カーに高級ブランドバッグの非常識
折田氏の根本は「ダサいをなくす」こと、見栄えがすること
女性ファッション誌『MORE』の電子版でのインタビュー(2022年12月20日掲載)では、「もっと日本全国を明るく、キラキラと輝かせるお手伝いがしたい」と語っているものの、より本音がストレートに伝わるブログ形式の「note」では、否定的な感情がモチベーションになっているのがよくわかります。短い文章の中で、「ダサい」が4回も出てくるのはよほどの事態でしょう。 折田氏は、上質な事物を効果的に伝えるための見栄えを整える手段が日本の企業や行政にはない、と言っているのですね。日本は美意識に欠けている、と。そこを私がお力添えいたします、と決意を語っているわけです。 もちろん、こうした折田氏の意見は賛否両論わかれるところでしょう。ここではその是非を問うものではありません。 大事なことは、折田氏にとって、仕事の根本、言動の根っこにあるものが、「ダサいをなくす」こと、見栄えがすることだという点なのです。
SNSでは「ダサいをなくす」を生活ぶりで常に表現
その一方で、美的センスに欠けた日本の行政や企業を補助する職業人としての原則をプライベートにも課さなくてはならない苦しみもあったのではないでしょうか? それがSNSにあらわれているからです。 自身のインスタグラムなどで高級ブランドショップで買い物をしたり一流ホテルに宿泊する姿を公開するのは仕事の達成感を表現する一方で、「ダサいをなくす」を標榜する社長として、自身の生活ぶりそのものが会社のイメージを代表しているのだ、というプレッシャーもかかってきます。「もっと日本全国を明るく、キラキラと輝かせる」ためには、まず自分がそうでなければならいからです。 そこで、大人にもSNSは害悪となり得るのではないか、と考えてしまうのですね。 なぜなら、これは効果的なPRであると同時に、不特定多数の匿名の目から常に監視、批評されているような状況を自ら作り出していることにつながるからです。常に値踏みされる緊張感とともに生きていかなければならなくなる。 しかも無数の情報や記号が高速かつ大量に行き交うSNSは不安定な価値観しか生み出しません。そこに自分の生活を賭けてしまうことは想像以上に危うい。しかも仕事においてもプライベートにおいても仮想空間が主戦場となると、メンタルヘルスにも少なからず影響を及ぼすでしょう。 うまくいったとしても、それはいびつな成功と言わざるを得ないのです。