95歳、衰弱した父が入院して3ヵ月で回復してきた。退院後にどこに住まわせるのか?施設は介護放棄か、賃貸で受け入れは無理か…
◆父が今後の生活に望むこととは 医師は父に質問をした。 「退院した後、一番心配なことは何ですか」 父は間髪を入れずに答えた。 「食事ですね」 心の中で私は、「えー!」と叫んでしまった。家に居た時父は、歳を取ったから3食食べなくても平気だと言っていたのに、病院の規則正しい生活を経験して考えが変わったらしい。 もちろん、食欲があるのは良いことだ。でも医師に24時間見守りが必要だと言われた95歳の父の面倒をみる子どもは、私一人しかいない。 ずっと見守り、3食一緒に食べていたら、私は仕事をすることができない。 医師に、私が口を挟んでもいいか訊ねた上で、父に聞いた。 「パパはどこで暮らしたい?」 「お前の家かな……」 元気だった時の父は、「一緒に暮らそう」と私が誘っても断っていたのに、随分気弱になったものだ。 「わかったよ。どういう暮らし方がいいかを考えるね」 私は医師のほうに顔を向き直して頼んだ。 「父やソーシャルワーカーさんと話し合って今後のことを決めるので、もう少し退院を待っていただけますか」 医師は快く返事をしてくれた。 「構いませんよ。お父さんが納得してから退院してください」 「ありがとうございます」
◆父が回復したのは間違いない 医療スタッフが退席して、父と二人になった。高台にある病院の窓からは晴れ渡った空が見える。 私が差し入れに持っていったぶどうをおいしそうに口に運んだ父は、リラックスした表情で窓の外を見ている。 「きれいな青空だな。秋の色になってきた」 風景に心が動く余裕さえ生まれたのだから、父が回復したのは間違いない。退院を前提にどのように父と話し合うかを考えあぐねていると、私が子どもだった頃、母がよく父のことを愚痴っていたのを思い出した。 「パパはね、畳みかけるようにこちらの希望を言うと、絶対に反対する性格だから、時間をかけて話し合わなければだめなの。同意していても、『俺は反対だ』って必ず言うから、疲れちゃうわ」 父が54歳の時に母は49歳で亡くなっている。40年以上の時間を経て母の教えを思い出した私は、今後のことは日をあらためて父と話すことに決めた。 「私、今日、原稿の締め切りがあるからもう帰るね。次に来る時、何か持ってきてほしいものはある?」 「うーん……チョコレートが食べたい」 「わかったよ。じゃあ、またね」 父はゆっくりゆっくりと歩いて、エレベーターホールまで来て、バイバイと手を振ってくれた。
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