「海が死にそう」能登半島地震後に起きた"異変" 海底からわく気泡… 漁の再開を願う海女
RKB毎日放送
能登半島で素潜り漁を行う海女(あま)は、福岡県宗像市から移住したと伝えられています。能登の海にも広がる地震の被害、福岡の食卓にも影響を及ぼすかもしれません。 【写真で見る】海にも残る 地震の爪あと ■盆踊りの似たリズム 能登と福岡の漁師町 福岡県の無形民俗文化財に指定されている、宗像市鐘崎の盆踊り。 RKB 今林隆史 「独特の太鼓のリズムに合わせて、小さな子供からお年寄りまで参加する鐘崎の盆踊り、意外なルーツがありました」 400年の伝統があると言われていて、地域で大切に受け継がれてきました。 太鼓の叩き手 「小さいころに習ったというよりは、見て覚えたような感じですね」 Q.ルーツがどこだとか、聞いたことがありますか? 「全然分からないです」 「輪島の方やったかな、確か。そのへんから」 盆踊り振興会にはその起源が伝えられていました。 鐘崎盆踊り振興会 広橋折好 会長 「400年くらい歴史があると言われております。何も娯楽のなかった海女さんや若い衆が、能登半島の御陣乗(ごじんじょ)太鼓を持ってきたのがルーツと言われています」 ■漁期で能登と福岡を移動した海女 海流がつなぐ文化 勇壮な響きが特徴の御陣乗太鼓は、輪島市に伝わる石川県の無形民俗文化財です。なぜ、700キロ離れた宗像市鐘崎の太鼓のルーツが能登半島と言われているのか?それは、鐘崎が発祥と言われている海女が大きく関わっています。 鐘崎の海女は良い漁場を求め、海流に乗って能登半島まで出稼ぎに行っていました。季節移動を繰り返していた海女たちが太鼓のリズムを伝え、盆踊りに取り入れられたとみられているのです。 鐘崎盆踊り振興会 広橋折好 会長 「漁師さんが、あっちのをかじったり、こっちのをかじったりして今に至るから、御陣乗太鼓をそのまま真似しているわけやない」 ■400年前に移住した海女に伝わる方言 鐘崎の海女は、約400年前に能登半島に移住した、と伝えられています。その子孫が住む輪島市海士町。 海女がアワビを取る時に使う漁具には「大」の字が刻まれていて、鐘崎の海女が呪符として「大」の字を漁具に刻んできたのと共通しています。さらに「たわし」や「魚の骨」など共通する方言もありました。