【全盛期、再び!】世界を熱狂させたル・マン24時間レース「第三章 ディーゼル、ハイブリッドの時代へ。現在のWECが誕生へ(2000年代)」 | ル・マン24時間レース2024 開幕直前特集!
世界三大自動車レースの一つ「ル・マン24時間レース」。昨年2023年に100年の節目を迎えたル・マンですが、2024年はハイパーカー、GTカー合わせて62台が出場。合計14社もの自動車ブランドが総合優勝、クラス優勝を争う大激戦になり大いなる盛り上がりが期待されています。
今年もJ SPORTSでは全盛期が再びやってきた「ル・マン24時間レース」を完全生中継!かつてこのレースに熱狂した方々にもう一度、このレースを見ていただきたいという思いから、ル・マン24時間の歴史を振り返っていきます。今回は2000年代から2010年代に起こったメーカー間の技術競争について見ていきましょう。
第二章で取り上げた過激なGTカーの時代が終焉を迎え、2000年代になると「ル・マン24時間レース」は冬の時代を迎えました。1999年にはトヨタ、日産、メルセデスベンツ、アウディ、BMWなど巨大自動車メーカーが覇権を争って盛り上がったにも関わらず、アウディを除く自動車メーカーはル・マンから一斉に撤退してしまったからです。
ル・マンに残った「アウディ」は2000年から2002年まで3連覇を達成。アウディワークスvsプライベーターという闘いの構図になりましたが、実質的には別次元の速さでライバル不在。2001年からは同じフォルクスワーゲングループの「ベントレー」が参戦し、ライバルとなりますが、GTP(屋根ありプロトタイプカー)クラスのベントレー・スピード8は実際にはLMP900(屋根なしプロトタイプカー)クラスで参戦するアウディR8の兄弟車でした。ライバルメーカーが不在のため、1998年にフォルクスワーゲン傘下になった「ベントレー」を対抗馬として出すことで、見せ方を変えただけの話でした。
アウディはラリーでモータースポーツの地位を確立していましたが、ル・マンなどの耐久レースでは無名。ライバル不在でも連勝を重ねることによって、そのブランド力を高めていきました。イギリス車ブランドであるベントレーは市販車の車名にミュルザンヌというル・マンのコーナー名がある通り、1920年代のル・マン24時間レース黎明期に名声を轟かせたブランドです。中身はアウディでも、傘下に入ったベントレーを再びル・マンに参戦させることで、そのスポーティなイメージを復活させようとしたわけです。