【全盛期、再び!】世界を熱狂させたル・マン24時間レース「第三章 ディーゼル、ハイブリッドの時代へ。現在のWECが誕生へ(2000年代)」 | ル・マン24時間レース2024 開幕直前特集!
アウディはライバルメーカーの参戦を待ち続けたのですが、真の対抗馬は現れず、ベントレーをワークス活動にして、アウディR8をプライベーターに託した時もありました。その時代に総合優勝を果たしたのがアウディR8を走らせた日本の「チーム郷」でした。この時のドライバーの一人が荒聖治で、2004年の優勝は日本人ドライバーを擁した日本国籍チームによる初めての優勝でした。
アウディはライバル不在の状態でも参戦を続け、ゼロから始まったル・マンでの勝利数を積み重ねていくことになるのですが、その中で自動車メーカーとして新たな挑戦を行います。「ディーゼルエンジン」での耐久レース挑戦です。自動車メーカーのレース参戦、特にワークスチームを率いての参戦には走る実験室としての研究開発の要素が必要です。その中でヨーロッパの主流になっていたディーゼルエンジンでハイスピードな耐久レースに参戦したのです。ディーゼルエンジンはフォルクスワーゲングループの得意分野でした。
そこについにライバルとして「プジョー」が同じくディーゼルエンジンで参戦。2007年のル・マンはアウディvsプジョーのメーカーワークス対決が実現。プジョーは参戦3年目の2009年に優勝。新しい技術を開発する場としてル・マンや耐久レースが再び注目されたのです。
そこでACO(フランス西部自動車クラブ)はインターコンチネンタル・ル・マン・シリーズをFIA(国際自動車連盟)の世界選手権シリーズに昇格させ、現在のFIA WEC(世界耐久選手権)が2012年に誕生します。
FIA WEC初期の最も大きなトピックスはリーマンショックの影響で2009年をもってF1を撤退した「トヨタ」の参戦。F1活動の拠点となっていたケルンのファクトリーをベースに今度こそはル・マンでの優勝を勝ち取るために本格参戦しました。トヨタ復帰の最大の理由は、総合優勝を争う「LMP1」クラスがエンジンとモーターを組み合わせたハイブリッドシステムを搭載するレギュレーションになったからです。