「もう生きられない」パーキンソン病の夫の決断 家庭医NOでも第2の選択で安楽死へ 安楽死「先駆」の国オランダ(3)
■死の直前、夫の穏やかな表情
20年9月4日、夫は寝室で妻と3人の子供に見守られながら、医師の点滴を受け、安らかに眠った。子供にも夫は個別に決断を説明、理解を得ていた。
あれから4年。自宅の居間で静かに回想する妻を、夫の遺影が見守る。死亡する直前に撮影されたものだが、穏やかな表情が印象的だ。「最後の2週間、夫は肩の荷が下りて、自由になったようでした」
実は安楽死を決意した頃、家族の負担を懸念したケアマネジャーの勧めで、夫が老人ホームに入る話が進んでいた。
「彼は行きたくなかったし、私もできることなら行ってほしくなかった」。だからこそ、夫は固く意志を貫いたのかもしれない。妻は夫の思いやりをかみしめる。
「安楽死(し)なければ彼は今も生きていただろうけれど、瀕(ひん)死しの小鳥のように老人ホームでただ生きているだけだった。彼が耐えられなくなった時期に最期を迎えられたことに安堵(あんど)しています」=敬称略(池田祥子、小川恵理子)