好きなことの喪失と再生、サメ一筋「シャークジャーナリスト」という生き方
休日にストレスを発散しないと耐えられない体に
楽しかった日々も、いつかは終わる。2004年3月、修士課程を修了。大学に残るのは、博士課程で成果を出せそうなテーマを探せなかったことなどから断念。ならば、とサメに関われる就職先を探したが、希望を満たすような仕事はなかなか見つからなかった。 例えば水族館は、サメだけを担当するわけにもいかないという点で、自分の志望とのズレを感じた。イルカのトレーナーの話もあったが、イルカのことがどうにも好きになれず、内定を辞退。結局、サメとは無縁のIT企業に就職した。 中途半端にサメと向き合うことはしたくない、と考え、就職を機にサメを捨てることに。集めた文献も、すべて処分してしまった。 プログラマーとして採用されたIT企業での日々は、「ぜんぜん面白くありませんでした」。仕事は忙しく、朝7時から深夜12時まで働くこともあった。いつしか、仕事のストレスを休日に発散しないと耐えられない体になっていった。 当初は、社内でフットサルチームを結成し、ほかの社員とともに試合を楽しんだ。それにあきたらず、27歳でバイクの免許を取ると、250ccのバイクを乗り回すように。深夜の首都高速道路を何周も走りまわることもあったが、やがてバイクとは違って速度制限のないボートに熱中しだす。神奈川県の横須賀から東京都の羽田空港間の海上などを、猛スピードで航行。「今思うと危ないと思いますが、当時は楽しかったんです」。海に出ているというのに、ボートの上でサメのことを思い出すことはなかった。 2011年11月のある日、突然めまいがして歩けなくなってしまう。病院に行っても原因はわからない。職場に復帰しては再び休む、を幾度か繰り返した。ひどい時には、トイレに行くことだけでも体力を大きく消耗した。 まったく起き上がれない日もあった。そんな時は、「次に起きられるのは明日? 来週? それとも一生このまま?」と不安に駆られた。このまま退職すれば年齢的に再就職は難しいのではないか、社会が受け入れてくれなくなるのではないか、と焦ることもあった。