オリジナル楽器も開発~音楽教室も人気の島村楽器
「物」ではなく「人」を売れ~客に信頼される島村楽器
千葉市美浜区の幕張西中学校吹奏楽部。そこに島村楽器の原島將行が楽器のメンテナンスのためにやってきた。取引がある学校を定期的に訪ねて簡単な修理を無料で行い、手入れの仕方も教えている。先輩から後輩へ引き継がれる楽器を大切に扱ってほしいと、長年続けているという。 「大切な思い出のある楽器を長く、一緒に生活していくことをお手伝いする」(原島) そんな島村楽器は、もともとは東京・江戸川区平井の文具店だった。創業者の島村元紹が店内に「ヤマハ音楽教室」のフランチャイズを開いたのを機に、1969年に島村楽器を創業する。 島村が大切にした精神が「『物』を売る前に『コト』を売り、『コト』を売る前に『人』を売る」だった。 「ギターという『物』を売るのではなくて、ギターを演奏して文化祭で活躍したいという『コト』を売っている。でも、そのためには販売スタッフとして信頼されないとダメなので、『人』を売る」(廣瀬) ギターを買いに来た客の数だけギターに託す思いがある。接客を通してその思いをくみ取り、思いにかなうギターを提案する。ただ楽器を売るのではなく、客の音楽ライフを支える、信頼される人であれ、という意味だ。 そんな創業者の精神を、廣瀬は入社後に身をもって体感することになる。 廣瀬は1975年、東京生まれ。幼いころは楽器とは無縁で、運動が大好きだった。高校時代はアメフト部に所属する体育会系。慶應義塾大学を卒業後は海外で仕事がしたいと、日本輸出入銀行(現 国際協力銀行)に入行。アジアや中東でインフラ開発などの大きなプロジェクトにも携わる。社会人2年目で結婚。その相手が島村の三女だった。 「念のため妻に聞いた。『継ぐ気は全くないんだけど、いいんだよね』と」(廣瀬) ところが結婚して3年目、島村から、「会社を継いでくれないか?」と持ち掛けられた。 「当時、誰が後を継ぐかは一切決まってなかった。だから私がもし『それは考えてないので結構です』と話をしたら、島村楽器はどうなるのかなと頭をかすめました」(廣瀬)