「自らを実験台に確かめたいことがある」――藤岡好明の好奇心を駆り立てた、偉大なる鷹のエース
藤岡はプロ入り4年目の2009年シーズン開幕前、弟子入り志願して、ハードで知られる和田の自主トレに参加した。 ルーキーイヤーは中継ぎとしてチーム最多の62試合に登板し(当時のパ・リーグ新人最多登板記録)、26ホールド(パ・リーグ2位)を記録するなど大車輪の活躍を見せた藤岡だが、その後は低迷した。股関節を痛めた影響でバランスを崩して本来の投球フォームを見失い、次第に思うようなボールが投げられなくなってしまったのだ。 「自分はこのまま終わってしまうのか」 不安に陥る中、これがラストチャンスと覚悟を決めて頼ったのが和田だった。 自主トレは、ランニングや体幹トレーニングといった基礎力強化に加え、食事や疲労回復のためのケアや睡眠まで、これまで経験したことのない密度の濃い内容だった。ちなみに、いまや和田の自主トレにはソフトバンクの選手に限らず、他球団からも志願する選手が後を絶たない。今年1月の自主トレには過去最多、16人もの選手が参加した。 「和田さんには本当にたくさんのアドバイスをいただきました。和田さんに相談すれば的確にアドバイスいただけるので、僕にとっては師匠というよりも『野球に対する考え方を整理してくださる方』というイメージ。頼れる先輩ですね」 迎えたシーズン。藤岡は開幕こそ2軍で迎えたものの4月に1軍昇格した。当初は中継ぎ起用だったが5月16日の楽天戦でプロ初先発し、3度目の先発となった6月3日の横浜戦では6回2安打無失点で先発初勝利。最終的に中継ぎと並行して14試合に先発し、自己最多に並ぶ5勝を挙げた。 くふうハヤテに入団した藤岡が選んだ背番号は「21」。それは尊敬してやまない頼れる先輩、和田の背番号と同じだ。 「和田さんのような高い志が持てるように、負けないぐらい野球人としての意識を高められたら、励みになればと思い選びました。『現役投手としてNPB12球団に戻りたい』ではなく『もし今1軍で投げても抑えられる』という志を持った自分であり続けたいと思っています。 『このボールなら、今でも1軍で通用するんじゃないか』とか、自分の中では、楽しみながらやっています。実際、(一時的に2軍に降格した)1軍の選手も試合に出てきます。以前対戦した選手と久しぶりに対戦できる機会もあると思うので、それで打ち取れたら面白いなと思います」 ■「経験したことのない環境に飛び込みたい気持ちも」 取材した時点で、藤岡は中継ぎとして12試合に登板し、防御率0.84という成績を残していた。 自身を材料に実験を続ける藤岡はくふうハヤテというチームで、日々全力で野球に取り組み、1軍で活躍した頃とは違った形で充実した現役生活を過ごしていた。来シーズンは40歳という節目の年齢を迎える。選手生命に関わるような大怪我でも負わない限りは、必要とされる場所さえあれば現役続行する覚悟だという。ただしその場所は、くふうハヤテとは限らない。