【ラグビー】「リスク取らないと勝てない」。7人制日本代表・古賀由教が受ける同期からの刺激。
複雑な心境だった。 「パリ2024オリンピック競技7人制ラグビー男子日本代表内定選手」に名を連ねたのを知ったタイミングと感想を聞かれ、メンバーのひとりの古賀由教は答えた。 「嬉しかったとともに、何とも言えない気持ちでした」 7月上旬、北海道での合宿中だった。報せを聞いたミーティングの場には、落選した候補選手も同席していた。それだけに、身長175センチ、体重83キロの25歳は、トレードマークとして知られる笑顔を封印せざるを得なかった。 昨秋のアジア予選こそ怪我で出られなかったなか、サイモン・エイモーヘッドコーチから栄誉ある切符を渡されていた。 中学時代から育成機関のセブンズユースアカデミーへ招かれていて、当時から五輪出場を意識していた。「何とも言えない気持ち」のほか、高揚感、緊張感も増した。 「メダルに向けて頑張らなきゃいけない気持ちが、一層、強くなりました」 決意を貫いてきた。 東福岡高、早大を経て2021年春にリコーブラックラムズ東京入り。各カテゴリーの15人制の名門を渡り歩くなか、心に決めていた。 「ブラックラムズで試合に出られるようになってからじゃないと、セブンズ(7人制日本代表)には行かない」 15人制で日本一を狙うチームで必要とされるようになって初めて、国内リーグと日程が重なる7人制の国際サーキットに挑みたいと考えた。 入団早々に大怪我に泣いたが、22年1月からのリーグワン元年シーズンでは終盤戦で3試合に出場。翌シーズンから、徐々に7人制の活動に重きを置くようになった。以後も戦線離脱を余儀なくされることはあったが、その時々で復帰目標を定めた。献身した。 何より、7人制日本代表の遠征、合宿がない時は、リーグワンの試合会場でブラックラムズを支えた。 「あまり自分で言うことではないですけど、一番、声を出して応援していたと思います」 代表活動のさなかには、不思議な縁を感じた。 早大の同期で主将だった丸尾崇真は、かねてオックスフォード大進学を目指して渡英していた。現在は何と、その目標を失わぬまま7人制日本代表でプレーする。パリ五輪出場組に入った。 まだ受験勉強に専念していた丸尾が一時帰国した際、同じ早大の2020年度卒の同期たちで食事会を開いたことがあった。監督だった相良南海夫氏も同席していた。 その席で古賀は、セブンズシーンから得られる刺激について語った。勉学に差しさわりがなければ、五輪出場を目指してもよいのではないか、とも続けた。 あくまで雑談の延長。それほど強く勧めたつもりはなかったが、そう時間が経たないうちに丸尾が代表合宿に混ざるようになった。丸尾は件の会合以外の場でも各方面に耳を傾け、熟考し、今度の決断を下していた。古賀は笑う。 「面白いですね。いつの間にかイギリスに行って帰ってきて、いつの間にか一緒にセブンズをして、いつの間にか一緒に五輪に出る」 同期といえば、当時の早大副将だった下川甲嗣は15人制日本代表となった。 昨秋のワールドカップフランス大会も出ている旧友の頑張りに、古賀は活力をもらう。互いに時間を見つけては「ご飯、行ける時ある?」と連絡を取り合う。両者の住まいの中間地点で落ち合う。 15人制のナショナルチームには、他にも気になる戦士がいるという。根塚洸雅。兵庫の少年ラグビーマンだった頃に切磋琢磨していた仲だったからだ。オリンピアンは言葉を弾ませる。 「こっちは芦屋ラグビースクールで、向こうは尼崎ラグビースクールで。同期の活躍にはいつも凄いなぁと思いながら、僕も頑張らなきゃという気持ちにさせられます」 話をしたのは8日の壮行会前。24日から休息日を含め計4日間の短期決戦を見据える。自国の立ち位置を鑑み、決意する。 「リスクを取らないとどこにも勝てない。チームでやることを明確にして、身体を張る。相手が仕掛ける前に、こっちから仕掛けられたら」 (文:向 風見也)