ウルトラマン“フジ隊員”の華麗なる変身 寂聴さん推薦で芸能界へ、「Q」の衣装は自前…15年間の休業を経た現在は
海外での熱狂を目の当たりに
2001年、米ニュージャージー州で開かれた「ASIAN FANTASY FILM EXPO」(AFFE)。円谷英二監督の生誕100周年記念ということでゲストとして呼ばれたが、往復の飛行機はエコノミークラスと条件も悪く、当初は断ろうとも考えていた。だが、円谷監督の下、特技監督を務めた高野宏一さんに「親父(英二監督)の100年なんだから行ってこいよ」と言われて渡米。現地で見たウルトラ作品への熱狂ぶりに「目から鱗が落ちた」という。 「いわゆるチャイルディッシュな熱狂ではなく、高度な質問も飛んできたんです。撮影当時は考えたこともなかったような質問もありました」 日本が誇る特撮文化を海外の大人たちをはじめとする多くのファンが待望していたのだ。帰国後、この時の体験を飯島監督に話したことが、後に桜井さんをプロデューサー的な仕事へいざなうこととなった。
コーディネーターの立場へ
桜井さんは『ウルトラマン青春記~フジ隊員の929日~』(1994年)に続き、『ウルトラマン創世記』(2003年)を上梓。この書を執筆していた折、飯島監督が体調を崩していたこともあり、両書を発売した小学館に、飯島監督に話を聞いてまとめた本の出版を打診した。出版が決まり、飯島監督にインタビューをしていたところ、飯島監督は桜井さんにこう語りかけたという。 「俺の職業、知ってる?」 もちろん「監督でしょ」と答えた桜井さんだが、飯島監督は「本ではなく映像にまとめて残せ」という意味で、桜井さんにこの言葉を投げたのだった。曲折はあったが、2003年末にDVD作品「ウルトラの揺り籠~実録ウルトラQウルトラマン誕生秘話~」という形となって思いは実現した。 この作品では飯島監督をはじめ、特技監督の高野さん、脚本家の上原正三さん、監督の梶田興治さんが出演。貴重な当時の証言を得て、桜井さん自身は「ウルトラマン」シリーズを伝えていく“伝道師”としての役割に開眼する。コロナ禍になってからは、YouTube番組「ロコトーク」で当時の関係者を招き、往時の雰囲気や出来事を伝えるトーク番組を配信した。