鹿児島県の「与論城跡」国史跡指定へ…14世紀築造、最北端の大型グスク跡「琉球の強い影響が感じられる」
国の文化審議会が20日に行った答申で、鹿児島県与論町の「与論城跡」が国史跡として指定される見通しとなった。14世紀前半~中頃に築造された最北端の大型「グスク(琉球式城塞)」跡で、当時の東アジアの動向や琉球と奄美の関係を知る上で重要な遺産と評価された。答申通り指定されれば県内の国史跡は34件目となる。(園田隆一、鶴結城) 【地図】与論城跡の位置
与論城跡は、与論島南部の標高93メートルの高台にある。面積は約2万3000平方メートル、崖の斜面などを含めると約3万平方メートルに及ぶ。沖縄本島以外のグスクとしては最大規模だ。神社周辺など要所に2~3メートルの琉球石灰岩の石垣が築かれ、崖下部分は盛り土を施して平らな場所を作り、整地されている。
同町教育委員会の南勇輔学芸員は「整地などの土木技術は沖縄のグスクにもみられる特徴。琉球の強い影響が感じられる」と話す。
島の伝承によれば、琉球が北山、中山、南山の勢力に分かれて覇を争った「三山時代」(14~15世紀)、北山王の三男・王舅が築造を始め、北山の滅亡とともに未完成のまま終わったなどとされる。
町が2020~22年にかけて行った発掘調査では、建物の柱の跡や中国製の陶磁器、茶わんなどが見つかった。交易や生活の様子がうかがえることから、城は未完成ではなく、「一定期間、使用されたのでは」との見方も出ている。
南学芸員は「地元の憩いの場に歴史的な意味が加わるのは喜ばしいこと。引き続き調査や検証、保全などに取り組んでいきたい」と話す。
また、同県肝付町の国史跡「塚崎古墳群」についても、新たに地下式横穴墓が存在する可能性があるエリア約3370平方メートルの追加指定が答申された。
町教育委員会生涯学習課によると、塚崎古墳群は古墳時代の前期後葉頃~中期中葉の古墳群で、前方後円墳や円墳の計59基で構成。古墳文化の南限とされる。今回、地権者の同意など条件の整ったエリア(肝付町野崎)が追加指定された。