<改正育児・介護休業法成立>【障がい児を育てながら働く⑫】「何としても仕事を続けたい」しかし会社の育児支援制度は、健常児の成育が基準となっており...
「すでにさんざん会社のお世話になり、短時間勤務で夜勤や祝日出勤も免除していただきながら、働かせていただいていること。それでもなお、娘が小学4年生となる来春以降も短時間勤務を継続できないと、失業の危機にあること……。ワークライフバランス懇談会で、労務担当役員に必死に訴えかけました」 【動画】「障がい児及び医療的ケア児を育てる親の会」顧問の野田聖子さんも出演! 最新セミナー動画はこちら ***** 「障がい児及び医療的ケア児を育てる親の会」という団体をご存じでしょうか? この会では、障がい児や医療的ケア児を育てながら、働き続けたい親たちが、ゆるやかにつながり、支え合っています。 障がい児や、医療的ケア児を育てながら働こうとする親の前には、両立を続けるためのハードルが幾重にも立ちはだかっています。子どもや家族の暮らしを守るため、この団体は行政や勤め先への働きかけを続けています。ケアの必要な子を育てている親も働き続けることができるよう、育児・介護支援制度を子の年齢で区切らず、障がいや疾患の状態に応じて配慮してもらえるよう、社会を変えようとしているのです。 この会の会長であり、朝日新聞社に勤めながら、重度の知的障がいを伴う重い自閉症の16歳の娘さんを育てていらっしゃる工藤さほさんへのインタビュー、第12回です。 ―― 上の娘さんが4歳になる年の4月に職場復職されたのですね。 2012年春、長女が保育園の年中(4歳児クラス)に入るタイミングで「短時間勤務制度」を利用して復職しました。2歳差の長女、次女の産休・育休を連続して取得していたため、4年半ぶりの職場復帰でした。 長女が3歳になって、空きが出た療育施設に母子で1年間毎日通うことでようやく母子分離ができ、保育園に通わせることができるようになったのです。
私の復職後、娘は午前中は療育施設、午後からは保育園に通いました。療育施設で給食を食べ終えてから、同じ社会福祉法人が運営する保育園に午後2時過ぎに登園します。その間の送迎はヘルパーさんにお願いしていました。 しかし娘の体力がもたないため、保育園での滞在時間は3時間ほど。帰りはシッターさんにお迎えにいっていただき、一緒に帰宅していました。 ――保育園時代は、2つの施設をかけもちされていたのですね。小学校に入ってからはどのようにされていましたか? 就学した私立特別支援学校は、通学に1時間ほどかかります。朝は午前9時30分登校で、午後1時30分まででした。下校後はヘルパーさんに、自宅から比較的近い放課後等デイサービスに連れていってもらいました。どうしてもヘルパーさんが手配できない曜日は、慣れ親しんだシッターさんと一緒に自宅に戻り、のんびりと過ごしていました。 ――保育園や学校への朝の送りは、ご両親で交代で行っていたのでしょうか? 同じ会社に勤める夫はデスクをしており、朝刊を担当すると帰宅は午前3時以降、夕刊を担当すると朝7時前には家を出ないといけません。 変化が苦手な娘の心身の状態を安定させるため、同じ日課を積み重ねることを優先させ、朝は毎日私が送り、療育施設から保育園への送迎ヘルパーさんもなるべく同じ方にお願いするようにしていました。もちろん、突発的な事情で、夫に送りを頼むこともありましたが……。