何をやっても「キング」内村航平と比較される…エース橋本大輝が乗り越えた苦悩と葛藤 パリ五輪3冠へ「僕みたいになりたいと魅了する体操を」
「何をやっても『内村航平以来』と比較される」―。体操男子で22歳のエース、橋本大輝(セントラルスポーツ)が漏らした言葉だ。2種目で金メダルに輝いた2021年の東京五輪後、憧れの存在は重圧に変わった。勝ちにこだわるあまり、大好きだった体操が「何度も嫌になった」と言う。苦悩、葛藤を乗り越えるきっかけとなったのが、担当トレーナーや内村さんのアドバイス。自分らしさを追い求め、7月26日開幕のパリ五輪で、内村さんも成し得なかった団体総合、個人総合、鉄棒の3冠に挑む。(共同通信=藤原慎也) 【写真】パリ五輪の日本選手団公式ウエアをお披露目する橋本大輝
▽「キング」の偉大さ痛感 東京五輪の予選。当時32歳だった内村さんは鉄棒の種目別決勝進出を逃し「僕が見せられる夢はここまで。これからは彼らが主役」と次世代にバトンを託した。思いを引き継いだのが、1回り以上も年下の橋本だった。史上最年少で個人総合を制し、鉄棒も金メダル。「航平さんが残したものを超えていかないと、日本の体操界は発展しない」と自覚が芽生えた。 しかし、壁は想像以上だった。五輪閉幕から約2カ月半後の世界選手権。個人総合で中国の新鋭、張博恒に競り負け、初優勝をさらわれた。五輪と世界選手権を合わせ、前人未到の8年連続世界一を達成した「キング内村」の偉大さを痛感し「(自分は)まだまだ弱い」と打ちひしがれた。 ▽橋本を救ったトレーナーの言葉 「航平さんは航平さん、自分は自分」。そう自らに言い聞かせても、焦りは募るばかり。2022年世界選手権で初の個人総合王者に輝いたものの、練習で追い込み過ぎた代償は大きかった。手首や足首のけがを重ね、昨年1月に腰の疲労骨折が判明した。
昨夏の国際総合大会では個人総合のあん馬で落下した際に頭を打ち、脳振とうで途中棄権に終わった。「本当に、もがき苦しんでいた」。その日の夜、宿泊していたホテルで中島啓トレーナーに思いの丈をぶつけた。 初めて日本代表入りした千葉・市船橋高時代から体のケアを担当する中島さんは、優しく諭してくれた。「結果なんていいんだよ。大輝の好きな体操をやればいいんだ」。その言葉に救われた。 ▽自分のために頑張る、それが恩返し 「誰もが認める美しい体操を見せる」。身長は167センチで内村さんより5センチ高く、雄大な演技が橋本の強さを際立たせる。原点に立ち返って臨んだ昨秋の世界選手権では団体総合で8年ぶりの優勝に貢献し、個人総合と鉄棒も制覇。日本体操協会から実績を評価され、五輪代表に決まった。 4月から本格化した代表選考を気にせず、課題と向き合えている。つり輪は力技の精度向上に注力。平行棒は高難度の倒立技などを盛り込み、0・4点と大幅なDスコア(演技価値点)アップを狙う。五輪シーズンの初戦だった4月中旬の全日本選手権(高崎アリーナ)は、圧勝で内村さん以来の4連覇を果たした。