「人ってね、跡形もなくなると未練も何もないの」――故郷・大槌町を撮り続けたアマチュア写真家の10年 #あれから私は
震災からちょうど1年後に出版
震災翌日から撮りためた600点以上の写真と、知人から提供された写真数点によって、写真集『がんばっぺし大槌』は完成した。震災からちょうど1年経った2012年3月11日に出版された。 震災を機に都会に逃れた被災者も大勢おり、出版後の反響は大きかった。潰れた消防車の写真を見て、「消防団員だった父は、この車から発見されたんです」という人もいた。 伊藤さんは小学生の時にカメラに興味を持ち始めたという。きっかけは何だったのだろうか? 「小学校に行く途中に写真屋さんがあったの。ガラス張りの飾り棚にカメラがあってね。欲しいと思ったんだよね」 当時5円の小遣いをせっせとためて、初めて500円のカメラを購入した。海辺で働く母をよく撮影していたという。 「過酷な労働させてるから、すぐ壊れてしまうんだよね(笑)」 そう言って取り出したデジタルカメラは6、7代目だという。
民宿の屋根に、船が水平に乗り上げた衝撃的な写真は、『がんばっぺし大槌』の表紙となっている。船は釜石市が所有していた遊覧船「はまゆり」だ。 「波が船をのせたって信じられないよね。クレーンでのせたってこんな綺麗にのらないのに」
伊藤さんが今思うこと
震災が起きる前、伊藤さんは毎年1回、町の仲間たちと手料理を持ち寄り、親睦会をしていた。 しかし、写真に写っている人のほとんどは、津波で流されてしまった。 「この瞬間が大切だったのに」 伊藤さんの目から、ふいに涙が溢れた。
被災地に来て学んでほしい
10年前のあの日、町に流れ込んできたのは海水だけではない。瓦礫や刃物、ガソリンなど、あらゆるものが入り交じっていた。さらに海底のヘドロがとけ込んだことで、“黒い津波”となり、のまれた人の多くが命を落とした。 「津波はちゃんと理解されてない。世の中災害だらけだけど、“うちは大丈夫”って思ってる人は、いっぱいいると思うんだよ。だけど、いざという時、とっさの判断で生死が分かれる時、正しい知識がなければ助からない。津波がきたら、海から逆方向に逃げるんじゃなくて、少しでも高いところに逃げるとか、そういう最低限の知識でいいから身に付けることは大事だと思う」