「人ってね、跡形もなくなると未練も何もないの」――故郷・大槌町を撮り続けたアマチュア写真家の10年 #あれから私は
とっさの判断で盛岡を諦める
震災当日の昼間、伊藤さんは、母に頼まれた用事で60キロ北の宮古市に車を走らせていた。ラジオでは現職の石原慎太郎氏が東京都知事選に出馬するというニュースが流れていた。 宮古市に到着したのがちょうど震災発生時刻の午後2時46分。車内で今までにない激しい揺れを感じた。数分後、宮古市の防災無線が聞こえた。「3メートルの津波が予想されます」。しばらくして、ラジオから宮古市の魚市場が冠水したとの情報が入った。魚市場は低く見積もって10メートルほどの高さにある。 「これはまずい」 伊藤さんは西側の内陸地の盛岡市へ逃げようと、必死で国道106号を走行した。しかしラジオから今度は、盛岡方面は渋滞がひどいとの情報が入った。とっさの判断で盛岡を諦め、南西の遠野市に向かって車を走らせた。 やっとのことで遠野市に到着すると、あたりは真っ暗だった。そのまま車中で休もうかと思ったが、自宅にいる半身不随の兄が心配だった。道路や橋の被害が大きいことは予想できたが、大槌町に向かって再び車を走らせた。 なんとか大槌町にある工場の駐車場に到着したのが12日午前3時。外はマイナス8度。ドラム缶で火をおこし、避難してきた100人近くの人々とともに明るくなるまで暖をとった。
何もかも流されて身ひとつの再スタート
伊藤さんは町内で40年近く喫茶店を営んでいた。店も近くの自宅も沿岸部にあった。12日朝に見に行くと、ともに跡形もなく流されていた。自宅で一緒に暮らしていた母親は病院に入院中で無事だったが、兄は行方不明だった。町内の別の場所で暮らしていたもう一人の兄も行方不明だった。 「あのね、人ってね、跡形もなくなると未練も何もないの。津波がなかったら、きっと瓦礫とか残ってたかもしんないんだけど、最初から何もなかったみたいに綺麗さっぱりなのね。そうすると未練も何もないんだよね。後片付けもしなくていいし。残ったのは、車の中に積んであったどうでもいいやつと、この体だけ」