「人ってね、跡形もなくなると未練も何もないの」――故郷・大槌町を撮り続けたアマチュア写真家の10年 #あれから私は
行方不明だった兄2人は、この年の3月下旬、次兄が遺体で見つかった。さらに秋口に発見された骨がDNA鑑定により、長兄だと分かった。 兄2人について、今思うことを聞いてみた。 「突然死だからね。いや応なく、まだ生きたいのにって思う暇もなく。(2人とも)死んだと思ってなかったりしてね。『俺、死んだの? 嘘だよね?』って。いずれ平等に人は死ぬけども、この死に方は気の毒だね」
伊藤さんでなければ撮れなかったもの
震災から数週間後、海外からも多くの取材陣が町に来たという。街並みや大きく崩れた橋や駅などにカメラを向ける人が多いなか、伊藤さんが撮ったのは、更地となった焼け野原や、高台から見える水門の様子、そして一般の民家などであった。つまり隣町に避難した地元の人が知りたかった光景の大半を、伊藤さんはカメラに収めていたのである。
初の写真展開催
2011年4月、盛岡市の老舗百貨店「川徳」では、「復興の狼煙」という被災者を応援するポスタープロジェクトが開催されていた。企画したのは盛岡市の広告会社の男性と同僚有志ら。その話を聞いた伊藤さんは百貨店に見に行った。そこには、津波で被災した岩手県沿岸の地域を背景に、力強いメッセージが添えられたポスターが掲示されていた。 「自分も撮りためた写真を展示できないか」――伊藤さんは思い切って百貨店側に申し出る。当初、難しいと言われたが、「同プロジェクトと抱き合わせなら」という条件で、後日開催できることになった。 伊藤さんの写真展にも多くの人が訪れた。最初の1枚を見た女性が突然、泣き崩れてしまったこともあった。たまたま目にした瓦礫の写真が、自宅だったらしい。伊藤さんは椅子を差し出し、「落ち着くまで座っていたほうがいいよ」と声をかけて励ました。 「写真集は出さないんですか」と多くの人から聞かれた。しかし、素人の自分が写真集まで出すことはさすがに考えていなかった。そんな時、伊藤さんを突き動かすきっかけが訪れる。 当時、大槌町で家を失った被災者は、自衛隊が設置した簡易風呂を利用していた。ある日伊藤さんは、震災時に高台へ避難した人と風呂で一緒になった。 「その人が浸かりながら、ポツンと独りごと言ったの。『うち、見たかったな』って」 そのひとことが、伊藤さんに写真集の出版を決意させた。 震災直後の大槌町は町中が瓦礫だらけで、高台へ避難した人が戻れる状態ではなかった。一方、伊藤さんは遠野市からうまく町に入った。瓦礫の中を進みながら兄の捜索活動を続け、その途中で町の様子をたくさん撮影していたのだ。 「私のカメラにはいっぱい家の写真があったの。崩れた民家とか、なんにもなくなった更地とか焼け野原とか。そういうのが入ってたわけ。もし自分が逆の立場だったら、震災で自分の家がどうなっていたのか、見せてもらいたいなって思ったの」