「生きるって大変なこと」突然ステージ4のがんと診断 闘病半年のプロレスラーが“ありのままの姿”発信のワケ
「寛解に向けて毎日取り組んでいます」
食道がん(扁平上皮がん)ステージ4闘病中のプロレスラーで東京・文京区議会議員の西村修が、病気の経過を余すことなく発信し続けている。4月に告知され、闘病生活は半年が経過。その間、入退院を繰り返し、けいれんを起こして2度意識を失った。がんは脳に転移し、10月下旬には開頭手術を受けた。がんを公表する著名人が増えている中、西村の思いとは。 【写真】脳腫瘍摘出手術を終えた直後ベッドに横たわる西村修、傷口にはガーゼ、実際の写真 ――脳腫瘍を放射線で退治するガンマナイフの治療が5日間にわたって行われ、19日に終了した。 西村「言葉だけ聞いたら恐ろしい機械みたいに感じますけど、見た目はほとんどMRIと同じ。MRIよりも短い筒の中に、ちょっと頭を突っ込むぐらい。ただ、時間が長い。50分ぐらいかかるので、ほとんど寝ていますよね」 ――検査中に痛みは。 「顔に器具をつけるんですけど、咳とか動いたり、顔を動かしたりするたびにカチンカチンと締まってきちゃう。それほど圧迫感があるわけじゃないんですけど、照射中にほんの少しずつ締まる。全部終わると、パチンと取り外して、5分10分いかないぐらいで痛みは全部消えちゃいます」 ――体に負担は。 「ないですよ。MRIは耳元でカンカンカンとか鳴るじゃないですか。ヘッドホンで音楽をかけても、その音楽が聞こえないくらい。ガンマナイフは聞こえるところが部屋全体。『音楽のCDを持ってきてもいいですよ』と言われます。それぐらいはっきり聞こえる」 ――ガンマナイフで根治を目指している。 「大きな脳腫瘍は7時間半の大手術で取っちゃった。さらに1センチとか小さいのが4か所ある。左に2か所、右2か所。的確に放射線を当てていく。ガンマナイフ5回で小さな腫瘍は消える。すごいですよね。私の知り合いで、頭に小さいのが100か所転移してもガンマナイフで完治した人もいます」 ――食道がんの治療は。 「別の病院で放射線を27回。あと数回残っている。時間は1回の治療につき10分ぐらい。そのために毎日通院しています。がんがあるので、エリア(食道から転移している左上半身)は痛いですよ。痛くなったり、きつくなったり、症状が柔らかくなったり、アップダウンが激しいものですから常に薬は持ち歩いて麻薬系の薬飲んだり、状況によっていろいろ変えています」 ――1998年に1回目のがん(後腹膜腫瘍)を患った。その時は手術後、化学療法を受けずに、漢方などで自然治癒を目指した。医療の発達についてどう思うか。 「今まで30年近く東洋医学のよさ、西洋医学のよさ、いろんな話をしてきました。インドに行ってアーユルベーダ(インドの伝統医学)、ジャマイカに行って海水浴療法も受けた。ただ、そこでカバーできるものもあるし、できないものもある。西洋でしかできないことというのも、今回まざまざと見せつけられましたよね。だから西洋でできること、東洋でできること、お互いのいいとこ取りをしながら、今、寛解に向けて毎日取り組んでいます」 ――4月にステージ4の告知を受けて以来、闘病生活について隠すことなく発信している。 「私たちは『プロ』というこの2文字がつくだけで、何かしらの情報発信をしなきゃいけない役割がある。強いところも見せないといけないし、弱いところも見せないといけない。自分自身にとってコンディションを上げる1つのプラス材料にもなる。また1人でも多くの人たちへのメッセージにつながればいいかなという思いは、26年前から持っています」 ――26年前、最初のがんの時は専門誌の表紙で突然病名を発表した。インドのガンジス川からの衝撃的な告白だった。 「その時も散々言われましたけどね。当時所属の新日本プロレスと大げんかして。新日本は『ずっと内臓疾患でいいじゃないか』という長州(力)さんと永島(勝司)さんの方針がありましたけど、私が勝手にインドに行って、がんと発表しちゃったわけですよ。弱いところを見せてこそ人間なんじゃないかなというのは私の持論。お涙ちょうだいでメッセージを送っているわけじゃなくて、人間だっていつか死ぬし、それも全てさらけ出して、全て見てもらう部分がありますから。私にとってそれがプロレス。攻めて、攻めて、攻めてだけがプロレスじゃないですからね。いかに受けるか。で、負けるのもプロレス、勝つのもプロレス。同じように病気で苦しんでいる人も山のようにいるのは事実ですし、がんじゃなくても、会社がつぶれそうだとか、家計が困難な状況の人もいる。常に戦わなきゃいけません。前を見て、上を見て、その人たちへの1ミリでもメッセージにつながればという部分での公表です」