【体験談】浪人中に突然、適応障害に 自分を見つめ直して2浪後にたどり着いた道は
2020年に開学した情報経営イノベーション専門職大学(東京都墨田区)に、息子が合格した川田奈緒子さん(仮名)。中学受験で入った都内の私立中高一貫校でバスケットボールに熱中し、難関私大の理工系を志望したものの、途中、病気や進路変更など、思わぬ紆余曲折を経験しました。これまでの道のりを振り返ります。 【写真】とことんやりこんだ参考書(写真=本人提供)
息子が通っていた中高一貫校は、高校2年までに各教科の学習内容をひと通り終え、高3から大学受験に向けた対策を行うカリキュラムでした。息子はバスケットボール部でのハードな練習に励みながら、課される膨大な宿題や、頻繁に実施される小テストの準備もコツコツ真面目にこなすような子でした。 数学が得意だったので、高1時の文理選択では迷わず理系を選択しました。進路は私立大の理工系に絞り、模試では早い段階から青山学院大学理工学部などでB判定を取っていました。親としても、この調子でしっかり勉強していれば、そこまで苦労せず大学受験を突破できるのでは、と思っていました。 それでも学校からは、「毎年、理系志望者の7割は浪人する」と聞かされていたこともあり、最初から1浪は覚悟のうえでの大学受験でした。 現役の時は、中央大学理工学部、明治大学総合数理学部、成蹊大学理工学部を受験しました。その年はいずれの大学の倍率も相当高かったようで、残念ながら不合格に。塾の勧めで受けた安全校はセンター利用で合格しましたが、希望する大学ではなかったため、進学せず、浪人を決めました。
ある日突然、適応障害に
浪人して順調に勉強に励んでいたはずでしたが、夏になると、息子は突然、予備校に行けなくなってしまいました。朝、玄関から外に出られずにそこにたたずんでしまう日々が続き、何かそれまでとは様子が違うことに気づきました。 心療内科に連れて行くと、医師の診断は「適応障害」でした。「無理をせず、まずはゆっくり休むことが大切」と言われました。幼少期からこれまで、そうした心身の不調に悩んだことがない健康優良児だったため、親としても最初はかなり戸惑いました。 予備校はやめて、家で勉強を続けていました。体調にはアップダウンがあり、夜はよく眠れず、となると朝は起きられず昼夜逆転の生活に。部屋に閉じこもる日々が続きました。 当時のことを後になって聞くと、勉強のかたわら、高校時代に買ったものの読めていなかった本を読んで過ごしていたそうです。たとえば、アルフレッド・アドラーの思想を解説した『嫌われる勇気』などの心理学、哲学系の本や、金融系のビジネス書などです。中学受験からここまで、目の前の課題を忙しくこなすばかり。じっくり思索に耽る時間がなかったため、振り返ると「あれは必要な時間だった」と感じています。 1浪目の受験は体調も勉強も十分でなかったため、無理のない範囲で臨みました。受験校は現役よりランクを落とし、東京工科大学工学部を受験し、補欠合格しましたが、繰り上げ合格することなく2浪目に突入しました。 2浪目になると、徐々に体調も安定し、少しずつ外出もできるようになり、近隣の個別指導塾に通うようになりました。塾の先生たちは受験指導だけでなく、さまざまな悩みの相談にも乗ってくれたようです。 親としても、気分転換になればと、たびたび旅行に連れ出しました。沖縄・石垣島でのダイビングや北海道、米国ロサンゼルスでの本場NBAのバスケットボール観戦などです。旅先では、受験を忘れて親子で楽しい時間を過ごすことで、息子の表情も徐々に明るくなっていきました。 このころ、本人の内面にも大きな変化が出てきました。将来、自分は何をしたいのか、大学で何を学ぶべきかを改めて考え直し、これまでただ漠然と理工系学部にこだわっていた進路を見つめ直しました。 起業に興味を持ち始めていたこともあり、進路も偏差値やブランドにこだわらず、自分がいま学びたいことを学べる大学を探し始めました。興味が出てきたのが、文理融合系の学部や経営学部、経済学部です。英語の成績が割とよかったこともあり、塾からは、理工学部の中でも文理融合型でグローバルな環境で学べる上智大学理工学部の受験を勧められました。