「これだけ勉強家で、努力家で、原稿を書ける人はいない」「渡辺さんを『偉大』とは言わない」 渡辺恒雄氏の知られざる素顔とは
「渡辺さんは最後まで言いたいことを言った」
04年8月に巨人のオーナーを退いた後も、主筆として読売の社論を取り仕切り、政界では「プレーヤー」であり続けた。07年には当時の福田康夫首相と小沢一郎・民主党代表の間を取り持ち、「大連立構想」を画策。結局、民主党側の反対で頓挫したものの、政界での影響力が衰えていなことを示したのだった。 目下、少数与党に陥った自民党の石破茂首相は苦しい政権運営を迫られている。しかし、渡辺氏亡き今、「大連立構想」のような荒業で事態を打開してくれるような救世主は見当たらないし、今後も現れることはないだろう。 渡辺氏と交流があったジャーナリストの田原総一朗氏が語る。 「渡辺さんは偉大なジャーナリストだったと思います。ジャーナリストは、総理大臣に対しても野党の党首に対しても、ガンガンものを言わなきゃいけない。多くの人は地位が上がってくると、その地位を守るために発言がだんだんと建前的になってくる。しかし渡辺さんはそうじゃなくて、最後まで言いたいことを言ったと思います」
「あの時代の方で奥様自慢を素直にする方はなかなかいない」
前述した通り、渡辺氏は晩年になっても勉強を怠らなかったが、 「知識に裏打ちされた自信があったからこそ、言いたいことが言えたのだと思います。05年に『オフレコ!』って雑誌を出して渡辺さんにインタビューしたのですが、その時ずっと奥様の話をしていた。堂々と奥様自慢をするところが、やっぱりこの人は面白いなと思いました。あの時代の方で奥様自慢を素直にする方はなかなかいませんよ」(田原氏) カネの面はどうか。 「私の知っている限りでは、渡辺さんは私腹を肥やすということはなく、政治家とのコネクションを使って会社のためになることには汗をかく。それが結果的には自分が社内で権力を獲得していく上での足掛かりになったわけです」 元読売新聞記者でジャーナリストの大谷昭宏氏はそう話す。 「読売の論調に関する渡辺さんのやり方は“社論は統一されなければならない”というもの。その社論というのは、渡辺さんが考えている社論です。そうなると、社内的な言論の自由はない、ということになります。まさに社内的には独裁者でしたよね。君臨していた、ということです」