甲子園球場100年の歩み~高校野球、阪神タイガース、そして驚きのスポーツも!
夏の全国高校野球大会を目前に、"球児たちの舞台"阪神甲子園球場が、2024年8月1日、誕生して満100歳を迎えた。グラウンドには、戦前と戦後の野球を中心とした多くの感動ドラマが刻まれている。
球場建設への歩み
甲子園球場の歩みは、もともとは阪神電鉄による鉄道沿線の開発計画がきっかけである。1922年(大正11年)、線路の北側を住宅地、南側をスポーツ施設と遊園地として、開発しようという構想だった。当時、現在の全国高等学校野球選手権大会にあたる「全国中等学校優勝野球大会」が大阪府の豊中球場や、兵庫県西宮市の鳴尾運動場で開催されていた。しかし、いずれも球場の規模は小さく、野球人気が高まると共に、増え続ける観客に対して手狭になってきていた。そこで、沿線の南側に予定していたスポーツ施設として、野球もできる多目的スタジアムを建設することになった。1924年3月に起工式、その年の8月に完成した。
「甲子園」名前の由来は?
新しいスタジアムの名前をどうしようか?古代中国の数字にあたる十干(じっかん)と干支を表す十二支(じゅうにし)、それぞれの最初の文字は、十干が「甲(きのえ)」、十二支が「子(ね)」だった。実はスタジアムが完成した1924年は、十干の最初「甲」と十二支の最初「子」が組み合わさるという、60年に1度しか巡ってこない縁起のいい年だった。そこで、開発する一帯を「甲(きのえ)子(ね)の園(その)」=「甲子園」として、球場の名前を「甲子園球場」と名づけた。とても縁起がいい名前なのである。
そして高校野球の舞台へ
8月1日に竣工式を終えた甲子園球場では、早速8月13日から、第10回の全国中等学校優勝野球大会が開催された。翌年の春には、全国選抜中等学校野球大会が開催された。これが今日につながる、高校野球"夏の甲子園大会"と"春の選抜大会"になっていく。ちなみに、この2つの大会の合い間の12月には、甲子園名物となるツタが植えられた。コンクリートの殺風景な壁を飾る目的で、ツタの株430本、葉の面積にして実にタタミ8000畳という沢山の緑に、球場が覆われたのだった。