女優、57歳で歌手デビュー。「何でも自分でやれるいい時代。それを楽しまなくちゃ損ですよ」
夫と関係の深い人たちの協力を得てCDを制作。思い出の声も残せました
── 俳優として歌うことはされていたんですね。 とよた ええ。そんな中で青山と、青山の映画や舞台の音楽を担当してくれた山田勳生さん(今回のアルバムのプロデューサー)とで、「いつか昭和歌謡のアルバムを作りましょう」という話になった。その時は、ふわっとした話だったんですが、青山が亡くなって、山田さんがお焼香にいらした時に「例のアルバム、作りませんか」と言ってくださったんです。で、「じゃあ、やろうかな」と。 ── でも、簡単には……できないですよね。 とよた クライアントもいないので、山田さんに「CDってどう作るの?」「費用はどのくらいかかるの?」というところから相談して。それから、ミュージシャンへの依頼、レコーディングのスタジオの確保、スタッフへのお弁当や駐車場の手配に至るまで、ほぼ自分でやりました。
── オリジナル曲の作詞作曲も手がけられていますよね。 とよた オリジナル曲は、私と、山田さんとピアノを担当してくださった土井淳さんとで、自宅に時には泊まり込みで制作しました。あと、青山が歌っている『もう少しよ』は、ドクター・ジョン(マック・レベナック)の曲の替え歌なんですが、それは山田さんのパソコンの中に残っていた青山の声から作りました。歌の前後には、青山が映画を撮っている時の「スタート!」と「カット!」の声を重ねて仕上げています。青山映画の音響担当だった菊池信之さんに頼んで、残っている音声の中から「スタート!」と「カット!」のあらゆるテイクを集めてもらって、ひとつひとつ聞いて選んで……。 膨大な作業でしたけど、その声は、私が一番、忘れられない青山の声なので、この形で残せてよかったと思います。
いい縁が次々繋がって自信作に。皆にカラオケで歌ってほしい!
── 俳優の斎藤工さんとのデュエット曲もあり、MVも配信されています。 とよた 斎藤さんは、青山作品に出演していただいたご縁もあり、プライベートでも仲良しなので、快く引き受けてくださいました。またMVを撮影した下北沢のジャズバー「LADY JANE」は、青山も通った場所。ほかにも青山映画の常連だった俳優の斉藤陽一郎さんや、愛弟子の映画監督の甫木元空さんもコーラスで参加してくれました。 手探りで作ったアルバムで、もちろん私自身が出したかったものだし、芸能生活40周年の記念でもあるんですが、結果的には青山に縁のある人たちに協力していただいて、追悼のような気持ちがこもったものができて、うれしいですね。 ── 歌手としての次の夢や目標はありますか? とよた 楽曲は、青山が脚本を書き残した『東京酒場』の映像化が実現した時に、使ってもらえれば、という思いもあります。でも基本的には、この歌や楽曲で、いろんな人と楽しいことができればいい。ライブとか、コラボも大歓迎です。 最近、昭和歌謡やポップスが、若い人や海外の方に人気だそうなので、そういう人たちにも聴いてほしいですね。せっかく自分のYouTubeチャンネルでも配信しているので。 あ、すでに一つ叶えた夢もあります。自分の曲をカラオケに入れること。 こちらも、知り合いの尽力があって、8月1日から「カラオケDAM」で配信がスタートしました! だから、ぜひ、多くの人に歌ってもらいたいです。