育成ながら「任意引退」…突然の“勲章”に感謝 叶わなかった夢、辞めると決めた覚悟
任意引退に「育成選手なのに。球団が配慮してくださったのでしょうか」
徹底した打ち込みの成果が9月に現れた。7試合で21打数7安打の打率.337。広島戦では2試合連続の本塁打を放ち、存在感を示した。みやざきフェニックス・リーグでも、4試合に出場し1本塁打を含め10打数5安打。数字は悪くなかったが「やるべきことはやったという思いが強くなりました」と決意した。 来季は26歳。「年齢も年齢ですし、来年は新人も入ってきて出場機会はさらに少なくなります。シーズン中もずっと悩んでいたのですが、また来年、育成でやるのかと考えたら……。高卒で入ってきたら考えも違ったのでしょうが、大卒で独立リーグに入って、そこからですから」と吐露する。 決断したのは、2度目の休日となった10月16日だった。宮崎市内のホテルの部屋で夕方、ドラフトでお世話になったプロ担当スカウトに電話を入れて決意を伝えた。「誰にも相談はしませんでした。成績はよくなっていましたが、自分でやることなので自分で決めたかった」と山中。宮崎に滞在中で、ホテルの自室に駆けつけてくれた担当スカウトからは「悲しいなぁ」という言葉が返ってきた。「スカウトの方には花開くところを見せたかったですが、自分で決めたことですから」と気持ちは変わらなかった。 実は、シーズン終了後に球団から育成再契約の打診があった。「ありがたいお話でしたが、フェニックスでいい成績を残しても、続けようという気持ちに傾くことはありませんでした。完全燃焼したという思いです。こうしておけばよかったとか思いませんし、辞めたことに後悔もありません」と爽やかな表情で語る。 球団に思いを伝えた翌日、チームメートに別れを告げて帰阪。球団から23日に「任意引退」で発表された。「1軍で活躍した選手ならわかりますが、育成選手なのに。球団が配慮してくださったのでしょうか」と感謝する。戦力外で自由契約になれば、他球団で野球を続けることは可能だが、任意引退ではプロの道は閉ざされる。元々、野球を続ける気持ちがない山中にとって、任意引退は“勲章”でもあり、退路を断った決断を後押しするものでもあった。 本塁打と打点にこだわり、ドラフト指名時に色紙に記したのは「二冠王」。憧れた杉本裕太郎外野手と1軍の舞台でプレーすることはできなかったが「我が野球人生に悔いはありません」と胸を張った。
北野正樹 / Masaki Kitano