「時間的な余裕はある」という表現は日銀の新たな市場との対話手段か
「時間的な余裕はある」との発言が繰り返される
9月20日の金融政策決定会合で、日本銀行は追加利上げの実施を見送った。植田総裁はその理由として、米国をはじめとする海外経済の先行きが引き続き不透明であること、8月の動揺以降、金融資本市場が引き続き不安定な状況にあること、円安修正の動きが先行きの物価見通しの上振れリスクを低下させていること、を挙げ、追加利上げを決めるまでに、こうした点を確認していく「時間的な余裕はある」と説明した。 その後、9月24日の大阪の講演会でも「時間的な余裕はある」と発言。10月2日の石破首相との初会合後の記者との質疑でも同様な主旨の発言をした。さらに、10月24日の主要20か国(G20)財務相・中央銀行総裁会議閉会後の記者会見でも植田総裁は、「(追加利上げを判断するのに)時間的な余裕はある」とし、追加利上げを急がない考えを改めて述べた。 この点を踏まえると、今週10月30、31日の金融政策決定会合では、日本銀行は追加利上げを見送る可能性がかなり高い。筆者は追加利上げのタイミングは来年1月を標準シナリオとしているが、円安がさらに進めば、12月の可能性も出てくる。他方、日米選挙後に金融市場が動揺し、円高が進む場合には、追加利上げが来年1月以降に先送りされる可能性もあるだろう。 9月20日の金融政策決定会合後の記者会見で植田総裁がこのフレーズを初めて用いた際には、事前に想定問答に書き込まれた表現ではなく、植田総裁の口から偶発的に出たフレーズであったかもしれない。 しかしそれを、その後も意図して日本銀行が用いるようになったきっかけは、石破首相が就任直後に日本銀行の追加利上げを事実上牽制するかのような発言をしたことではないか。政府からの強い牽制をかわすため、日本銀行は「時間的な余裕はある」という表現を繰り返すことで、追加利上げを急がない姿勢を政府にアピールした。
金融市場の安定に寄与する一方、日本銀行の政策決定の機動力を削ぐか
この結果、「時間的な余裕はある」という表現は、次の決定会合では日本銀行は追加利上げをしない、という強いメッセージと理解されるようになったのではないか。次の決定会合における政策について、金融市場の予見性を高めるコミュニケーション、対話手段である。 この新たな市場との対話手段は、8月の金融市場が混乱した際に、日本銀行の市場との対話が上手くいっていない、との批判が高まったことへの対応という側面もあるのかもしれない。 今後は、決定会合ごとに、総裁が「時間的な余裕はある」と考えているかどうかを記者が確実に確認するだろう。そして、総裁が「時間的な余裕はある」という表現をしなくなる場合、あるいは表現を修正する場合には、次の会合で追加利上げが行われると金融市は織り込むだろう。 この新たな対話手段を用いることで、米連邦公開市場委員会(FOMC)の当日には、米連邦準備制度理事会(FRB)が政策変更を行うかどうかについて、金融市場がほぼ確信しているような状況が、日本でも生まれるかもしれない。 その結果、金融政策決定会合当日やその前後での金融市場のボラティリティを低下させることが可能となるのではないか。しかしその反面、日本銀行が決定会合の日よりかなり先立って、従来よりも前倒しで政策を決める必要が生じ、日本銀行の政策決定の機動力が削がれてしまう、という問題も起こり得るのではないか。 そうした問題が強まる場合には、日本銀行はこの新たな対話手段を放棄するだろう。 木内登英(野村総合研究所 エグゼクティブ・エコノミスト) --- この記事は、NRIウェブサイトの【木内登英のGlobal Economy & Policy Insight】(https://www.nri.com/jp/knowledge/blog)に掲載されたものです。
木内 登英