「知っていれば授かる可能性が上がる」ダイアモンド☆ユカイが男性不妊治療の経験を発信する理由 #性のギモン
「知っていれば授かる可能性は上がる」不妊治療経験を語る理由
――なぜ自身の男性不妊治療経験を公表したのですか。 ダイアモンド☆ユカイ: 仕事で活躍している女性は、会社に入って、あっという間に30歳くらいになってしまうんじゃないかな。そのあとに妊活を始めても、もしパートナーが無精子症だった場合、なにも知らずに時間だけが経ってしまう。だけど、知っていればいろいろな手段があり、子どもを授かる可能性は上がる。俺にとって男性不妊と診断されてからの不妊治療というのは、あまりにも衝撃な出来事だったし、もちろんつらかった。けれど、みんなにも男性不妊について知ってもらうべきだと思って、この経験を話してるんだ。 ――そのような思いがあって、不妊治療の経験を書いた著書「タネナシ。」を出版されたのですね。 ダイアモンド☆ユカイ: そうだね。でも、本を出すのに実は葛藤があった。俺は不妊治療をして、最終的に子どもを授かったけど、一度諦めたこともある。子どもを授からないつらさ、授かる喜び、両方の気持ちが分かるから「本当に本を出していいものなのか?」とすごく悩んでいた。 そんななか、2011年3月に東日本大震災が起きた。精神的にかなりショックを受けていた時、瓦礫の中から産声をあげた子どものニュースが流れた。命の尊さを感じて、「落ち込んでいる場合じゃない、なにか自分にできることをやらなくちゃ!」と、本を出そうと決めたんだ。 本を出してから、不妊治療に関するシンポジウムに呼ばれることも多くなった。そのうちに分かってきたのは、未だに男性不妊のことを知らない人が多いということ。みんなその話題から逃げているのかもしれない。マスコミにも「不妊の問題はデリケートだから、扱えないんです」と、最初は見向きもされなかったよ。それでも、ずっと啓蒙活動をしていると、世間の雰囲気が変わってきた。バラエティー番組などで、著名人が不妊治療や体外受精のことを話してくれるようになって、その中の一部に男性不妊もあるということを、取り上げてもらえるようになったんだよね。 ――ユカイさんは今年で還暦を迎えたとのことですが、これからどういった60代を歩んでいきたいですか。 ダイアモンド☆ユカイ: 俺は自分のために生きている。キレイごとなんて言いたくないし、自分が好きだから好きなことをやりたい。だけど、子どもを授かったことによる変化は確実にあって、与えることの喜びを知ったんだよね。だから、ロックで世の中に元気と愉快を与えていくことが、今もこれからも変わらない、俺の使命だと思ってるよ。 ----- ダイアモンド☆ユカイ 1962年、東京都生まれ。1986年、ロックバンド「RED WARRIORS」のボーカルとしてメジャーデビュー。人気絶頂の最中、わずか3年の活動で解散。その後、ソロ活動を開始し、音楽活動を中心に、舞台・映画・バラエティー番組の出演など幅広く活動する。2011年には、自身の無精子症からの不妊治療で子どもを授かったことを自著『タネナシ。』で告白し、大きな反響を呼んだ。現在は「埼玉県こうのとり大使」として、不妊治療の正しい知識の啓蒙を行い、県内の高校や大学で講演会も行う。現在1女2男の父親。 ※ダイアモンド☆ユカイの☆は六芒星が正式表記。 「#性のギモン」は、Yahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の1つです。人間関係やからだの悩みなど、さまざまな視点から「性」について、そして性教育について取り上げます。子どもから大人まで関わる性のこと、一緒に考えてみませんか。