「挑戦が誤解されるかも」ミス・ジャパン初代グランプリの土屋炎伽が母と深夜に交わした言葉と13年間チアを続ける「原動力」
■コンテスト出場を心配する母と深夜まで話して ── 27歳のときに、ミス・ジャパンに出場されました。応募の経緯を教えてください。 土屋さん:何かを変えたい、20代が終わるまでに新しい自分を見つけたいという気持ちがあって、そのためには、まずは自分が苦手だと感じていることに向き合わなければと考えていたんです。 そんなときにSNSで見かけたのが、ミス・ジャパンの応募要項でした。これまでのミス・コンテストは、「身長制限が160センチ以上」という条件が多かったので、155センチの私は応募することさえ許されないと思っていたのですが、ミス・ジャパンはその年に創設されたもので、身長制限がなくて。応募要項にも「英語が話せない、身長が低いなど、いろいろな思いで挑戦を諦めてきたあなたでも挑戦できます」というような文言があったので、100パーセント受からないだろうと思いながらも、何事も1歩踏み出さないと始まらないなと考えて、書類を出すことにしました。
子どものころからミスコンの特集などはテレビで見ていて、コンテスタント(参加者)の皆さんがキャンプに参加して、時には涙したり仲間と何かを乗り越えたりしながらステージで自分らしさを持って輝いていくというイメージを持っていたんです。なので、ミスコンに出たいというよりも、ビューティーキャンプに参加して、自分と向き合って苦手なことにもチャレンジしたいという思いで応募しました。 ── 周囲やご家族の反応はいかがでしたか?
土屋さん:書類通過が想定外だったので、東京大会やビューティーキャンプなどのステージへ進む前に、チームと家族にきちんと相談することにしました。当時はまだ富士通のチームに所属していたので、ファイナル選考の結果がどうであれ、いろいろな方面への説明や理解が必要で。私のために会社の方が動いてくれたり、会社の方々との話し合いに母も参加してくれたりして、自分が思っている以上に周囲の人を巻き込んでしまいました。