「挑戦が誤解されるかも」ミス・ジャパン初代グランプリの土屋炎伽が母と深夜に交わした言葉と13年間チアを続ける「原動力」
── チア人生のなかで、特に思い出深かった出来事はありますか? 土屋さん:大学4年間のどの出来事も思い出深いものばかりですが、就職活動で悩んでいたときに、弟が「ほののチア、もう1回見たいよ」とか、家族が「ほののチアが好きだから」と声をかけてくれて。周りの人がそう言ってくれることが思い出だったり、私の原動力だったりしました。 富士通のチアの活動は、主にアメフトと女子バスケの応援、そして時折川崎フロンターレのイベント出演がありましたが、特にアメフトは強豪チームなので、決勝戦の舞台に立たせてもらうことも多くありました。東京ドームでの決勝戦には、部長をはじめ職場の皆さんが応援に来てくれて。部署の数名が早めに仕事を切りあげて、席を取ったりお酒を買いに行ったりしてくれて、試合が始まると「土屋さーん!」と声援を送ってくれて。そういうところが企業チームのよさだなと思っていました。
富士通には、高校を卒業してすぐに活動を始め、東京オリンピックにも出場した女子バスケの町田瑠唯ちゃんという選手がいて。彼女は知り合ったときからずっと「富士通で優勝したい」と言っていたのですが、常勝チームもあってなかなか難しかったんですね。でも最近、13年間かけてついに優勝したんです。そんな仲間の活躍を見られることも幸せです。 ── 太鳳さんが「チア☆ダン」に出演された際は、アドバイスをすることもありましたか?
土屋さん:そうですね、一緒に練習しました。妹もモダンダンスや創作ダンスをしていたので、踊るのはすごく上手なんです。でも、チアには独特の手の形や決まった形があるので、同じ位置で手を止めるということが難しかったんでしょうね。家でもモーションや手の動きを伝えたり、「もっとここで止めるといいよ」などと声をかけたりしました。撮影がない日に、チア☆ダンメンバーが自主練をすることになっていて。1度だけそこへ行って「もうちょっとこうするといいよ」というようなお話をしたこともありました。