「挑戦が誤解されるかも」ミス・ジャパン初代グランプリの土屋炎伽が母と深夜に交わした言葉と13年間チアを続ける「原動力」
ダンス自体も、大学と社会人ではまた少し違っていて。大学のときは比較的パキっとしたダンスで、髪をしっかり結わえて人の上に乗るスタンツをすることも多かったのですが、社会人になると、髪を下ろしてダンスの一部として魅せる女性らしいダンスになるので、そのあたりも難しかったです。参加が必須の練習は週3回だったのですが、汐留の本社から川崎の体育館までほぼ毎日通って、先輩にダンスを見ていただいたり自主練をしたりしていました。大学の応援団を終えてホッとしていたところから、また応援団生活第2弾スタート!という感じで、これまでとはまた違った厳しさがありましたね。
── 特に厳しかった場面はありますか? 土屋さん:チアでは年に1度、継続オーディションというものがあって、その日が1年で1番緊張する日でした。OGのスタッフリーダーさんや部長さんに数人ずつダンスを見ていただくのですが、少しでも妥協したように見えるパフォーマンスやアピアランス(メイク・ヘア・ウェア)は見抜かれてしまうんです。なので、身につけるオーディションウェアも慎重に選び、1年間の成果を出すよう心がけていました。緊張感が走る1日でしたが、「わ!こんなチアリーダーになりたい」と尊敬する先輩方がいたので、乗り越えることができました。
■「ほののチアが好きだから」家族の言葉が原動力 ── 大変な環境のなか、チアを続けることができた理由を聞かせてください。 土屋さん:選手って、頑張っているじゃないですか。頑張っている人に「頑張れ!」と言うためには、その人以上に自分が頑張っているという感覚を持っていないと、応援する資格がないと考えていて。「頑張れ!」と言うことの責任を持つためには、自分が絶対に妥協しない、疲れていても手を抜かないということをモットーにしていたからだと思います。チアリーダーってただ踊っている人ではなくて、劣勢のときやここぞというときにこそ、存在意義があると思うんです。そういうときにいかに観客席から声や応援を引き出せるか、自分たちがどんなときにも声を届ける、全力のパフォーマンスを届けるという責任感があったからこそ、13年間チアを続けられているのかなと思います。