【坂口涼太郎×ヒオカ】恥をかきながら、誰かに「捧げる」ものをつくる――表現すること・書くということ
同じような経験をした人に、捧げるものをつくろう ヒオカ:私が好きな本に、雨宮まみさんの『40歳がくる!』(大和書房)があって。雨宮さんが2016年に亡くなる前まで執筆していた連載の、いわゆる遺稿集なんですけど、すごく死のにおいがして、ヒリヒリするというか。一歩踏み外すと深い谷間まで落ちてしまうような、そういう境地で書かれているのがわかるんです。 ただ、この本の中で「自分の命までかけちゃダメだよ」っていう会話があって、そこがすごく印象に残っているんですよね。ずっと不幸はしんどい。でも、幸せなときよりそうじゃないときのほうが、筆が乗るっていうのもわかるから、表現者であることって難しいなと思ったりもします。 坂口:自分に起きた「不幸」と呼ばれるような出来事って、「燃料」になることがあるよね。私も「これが地獄かぁ」みたいな体験をすると「タダでは転ばへんぞ!」っていう気持ちになるし、俳優として演技しているときとか、文章を書くときの糧にしようって思うし。 わざと自分を不幸に持っていこうとは思わへんけど、誰にでも「不幸な事件」みたいなことって起こるやん。芝居とか文章とか、表現する仕事をしていると、そのときの感情を燃料にして、この世界で同じような経験した人に捧げるものをつくろう、みたいに思うよね。 一般の方って普通に生きていて、急に泣いたり、怒ったりとかできないやん。だから、日常ではできないことを、映画やテレビの中だったり、文章とかでわーって表現してくれる人がいることで、共感して気持ちがスーッとしたりして、若干ラクになるというか。私自身が、見る側・読む側としてそういう感じだった。 だから、私たちの仕事って常に自分の「恥」をさらしていく仕事やけど、表現するときはちゃんと伝わるように、極端なくらいがちょうどいいと思ってる。私は常に「エクストリーム」でありたいんよね。 <連載はこちら> 坂口涼太郎 今日も、ちゃ舞台の上でおどる ヒオカ 足元はいつもぬかるんでいる 協力/中央公論新社、代官山蔦屋書店 取材・文・撮影/金澤英恵