【坂口涼太郎×ヒオカ】恥をかきながら、誰かに「捧げる」ものをつくる――表現すること・書くということ
想像力が至らないのは、誰だって同じ 坂口:ちなみにヒオカさんって、社会の問題を微細にキャッチして自分の意見を伝えているじゃないですか。それって、意識してキャッチするようにしているんですか? ヒオカ:いえ、実はそれは悩みでもあるんです。普通の人は、外の世界の出来事とある種の「膜」があると思うんですけど、私はそれがあまりないというか。だから、誰かが書いた記事に共感してボロ泣きもしますし、誰かの発言でとことんしんどくなってしまうこともある。もっと鈍感になれたらいいんですけど。 坂口:感受性ですよね。すごいことだよね。『死ねない理由』の「心と体」の章でも、それは感じた。「殴られていなくても、〈虐待被害者〉だと気づく。」とかもそうですし……。 ヒオカ:ただ、「心と体」の章でも書いたんですが、私はこれまで「想像力を持ちましょう」みたいなことをすごく言ってきたんです。でも、相手がどういう状況かを察知することって、実はすごくいろんな能力を使っているんだなと気づいて。観察したり、把握したり、自分の引き出しの中から「今はこういう状況だ」と理解することって、実は経験もスキルも要るし、性質によるところも大きい。「あなたは想像力が足りてません」と言って批判するのも、実は暴力的なのかもしれないと感じていて。 坂口:私もヒオカさんの本を2冊を読んで、自分の想像力がいかに行き届いていないか、足りていないかをすごく痛感したわけだけど、誰でもそうやと思うねんよ。全てにおいて行き届いている人はそういなくて。自分が生きてきた人生の中での出会いとか、経験からしか得られないものはあって、一方ではそれだけじゃ補えないものもある。 だから私が見つけてきた方法は、こうして本を読んだり、映画やテレビのドキュメンタリーを見たりすること。足りていない想像力を補うのって、そういうことなのかなって思ってる。
「GUCCIを着て貧困を語りなよ」 坂口:『死ねない理由』の柚木麻子さんの話もいいよね。「GUCCIを着て貧困を語りなよ」っていうところ。 ヒオカ:貧困当事者として取材を受けるとき、髪の毛をまとめてすっぴんで「清貧であれ」みたいなことを求める人って、少なからずいるんです。「貧乏なのにカラコン買えるんですか?」っていうDMも来たりして。でも、柚木さんに「GUCCIを着て貧困を語りなよ」って言われて、たしかに! そんな格好してもいいじゃん、って思えたんですよね。 坂口:それはなんで「いいじゃん」って思えたの? ヒオカ:元々“ちぐはぐ”が好きなんですよ。意表を突くというか、いい意味で裏切るというか。だって、その方が面白いじゃないですか。本当はめちゃくちゃ派手な服が好きだし、ロックな感じが好きなんです。それを無理やり抑えて「清貧であれ」の声に従っても、そんなにいいことないなと思ったんですよね。すっぴんにまとめ髪なら、服装の批判コメントを送ってくる人はいなくなるかもしれない。でも、それだけじゃないですか。「私の人生」なんだから何着てもよくない? って思えたんです。 坂口:そもそも、おしゃれはお金がかかるのか? っていうのもあるよね。私も長らくお金はなかったけど、おしゃれって自分を鼓舞していくみたいなところがあったかもしれない。 ヒオカ:髪を染めたり、カラコン入れたりすることもそうですけど、おしゃれは贅沢だ! 最低限で生活しろ! という世間の圧力は強いですよね。『死ねない理由』の大きなテーマでもあるんですけど、そういった「自分の楽しみ」をすべて削ってでも、本当に「生きたい」と思えますか? と。 坂口:私たちエンタメ業界はコロナ禍でずっと「不要不急」扱いされてきたから、それは同意見。私は、エンタメは「必要至急」やと思ってる。さっきも、生活が大変な人にもエンタメは「届くべき」って話したけど、演劇だったらチケット代を工夫したり、目が見えない、耳が聞こえない方には補助音声や手話で鑑賞をサポートしたり、いろいろできることはあるはず。いろんな人が、同じ空間でエンタメを楽しめるようにしたいし、それが当然になるといいなって思うよね。