「令和のミラクル」東亜学園、7大会ぶりセンターコートへ 春の高校バレー
「でもやるべきことに身が入らない、それは小磯先生は求めていない。先生がいたら怒られちゃうよ。3年生は最後の大会だし、悔いを残さないよう、一日一日をしっかりやっていこう」。さらに「やまびこ打線」(徳島・池田高)や「逆転のPL」(大阪・PL学園高)など、さまざまな異名がある高校野球を引き合いに「奇跡は起こらないかもしれない。でもバレーボールでチームにネーミングがあるのはウチだけだよ。ミラクルを起こそう」と呼びかけた。
選手たちは気持ちを奮い立たせ、春高のコートで奮闘。当時も東京第3代表だったが、1、2回戦を突破し、初優勝した東福岡に敗れた3回戦まで駒を進めた。小磯前監督のジャージーとシューズを着用して臨んだ佐藤監督は「負けて言いたくねえけど、よく頑張ったよ。胸張って帰ろう」と泣きじゃくる選手に語りかけた。
■「ホーム」の気持ちで
山形県出身の佐藤監督は小学生のころ、テレビで見た「春高」で東亜学園の選手たちに魅了され、「ここでプレーする」と決意して上京。伝統の赤いユニホームに袖を通した。進学した東海大2年のとき、恩師であり、東亜学園の礎を築いた馬橋洋治元監督に亡くなる直前に病床に呼ばれ、「跡を継いでくれ」とチームを託された。
東亜学園に体育教諭で採用され、バレー部コーチとして小磯前監督からコートでの指導をほぼ全面的に任される中、選抜優勝大会としての07、08年「春高」2連覇や、高校選手権が現行方式の1月開催になって初めての11年大会優勝に導いた。
1大会で4チームしか立てないセンターコートを「子供たちの夢舞台。私はいつも『ホーム』っていう気持ちでいる」と語る佐藤監督。初めて指揮を執った春高から10年。当時屈した東福岡に、準決勝で再び挑む。(奥村信哉)