「令和のミラクル」東亜学園、7大会ぶりセンターコートへ 春の高校バレー
「ジャパネット杯 春の高校バレー」として行われている第77回全日本バレーボール高校選手権(産経新聞社など主催)で、男子の東亜学園(東京)が7大会ぶりの4強入りを決めた。前評判の高くなかったチームが接戦を制して勝ち上がる姿は、1、2年生による選抜優勝大会として行われた1983年3月の「春高」で初優勝し、「ミラクル東亜」の呼び名がついた当時に重なる。「令和ミラクルですよ。本当にたくましくなった」。佐藤俊博監督(44)は、選手たちの成長に喜びをかみしめている。 【写真】準々決勝で東亜学園に敗れ、肩を落とす鎮西の選手 ■技術ではなく 東京大会3位の東亜学園は開催地枠での出場。初戦の2回戦は鎮西学院(長崎)に先にマッチポイントを握られてから試合をひっくり返し、3回戦も開智(和歌山)に2-1で逆転勝ちした。鎮西(熊本)との名門対決となった準々決勝は先行を許しながら、2セットともジュースを制してストレート勝ち。ブロックで奮闘したセンター大槻尚平(3年)は「仕事を果たせてよかった。『絶対に止める』という気持ちが、自分の技術を上げてくれたんじゃないか」とうなずいた。 全国制覇8度の名門も、スポーツに特化した体育コースが2017年に廃止となった影響もあり、近年は全国上位になかなか顔を出せなくなった。東京選抜が優勝した昨秋の国民スポーツ大会で、東亜学園から選手は選ばれていない。今回で40回目の出場となる高校選手権も、23年の前々回大会は切符をつかめず、連続出場が「17」で途切れていた。 それでも佐藤監督は「時代が変わっても、東亜の指導はバレーを通しての『大人化』。技術ではなく、仲間への感謝やひたむきな取り組み、内面を追い求めるチーム作りを大事にしている」。地道に努力を重ね、持ち前のコンビバレーを磨いた選手たちが大舞台で能力を開花させ、準決勝以降で使用されるセンターコート(特設コート)にたどり着いた。 ■亡き監督が求めるもの 準々決勝後、「きょうは『ミラクル東亜』が出せた」と笑顔で話したセッター和田太一(3年)だが、佐藤監督からその言葉で励まされた記憶はない。ただ指揮官が選手を鼓舞するため、「ミラクル」を持ち出した出来事があった。 14年11月、チームが春高切符をつかんだ翌日、監督だった小磯靖紀さんが心筋梗塞のため、53歳の若さで急逝した。動揺を隠せない選手たちに対し、思わぬ形でコーチから指揮官に転じた佐藤監督は1週間ぶりに再開された練習で「今は切り替えなくてもいい」と語りかけた。