小林悠×太田宏介スペシャル対談。結果を見て悔しくて携帯を投げ捨てて(笑)。メラメラなライバル関係や感動的な代表での共演
「悠の活躍に俺は嫉妬していて(笑)」(太田)
幼少期からライバルとして意識し、それはプロの世界に挑んでからも変わらなかった。互いの存在があったからこそ、ここまで歩んでこられた。ふたりは口を揃える。スペシャル対談の第3弾は学生時代のエピソードや、揃って日本代表のピッチに立った記念的な試合の思い出などをメインにお届けする(全4回の3回目)。 【画像】セルジオ越後、小野伸二、大久保嘉人、中村憲剛ら28名が厳選した「J歴代ベスト11」を一挙公開! ――◆――◆―― ――改めて太田さんが昨季限りで引退すると聞いた時、小林選手はどんな想いだったんですか? 小林 でも、引退する1年前、年末の同窓会で『来年辞める』とは聞いていたんですよね。だからそこまで驚きはなくて。 太田 それに子どもの幼稚園が一緒だから、週2、3ぐらいで会う時もあって、そこでよく話していたからね。 小林 そりゃ寂しさはあったよ。でも気持ちはめちゃくちゃ良く分かったから。『そうだよな、お疲れさまって』って。宏介はライバルとして常に先を走ってくれて(太田は高卒、小林は大卒としてプロへ)、宏介に追いつきたくて俺はずっと頑張ってこられた。だから感謝しかなかったね。 ――おふたりはずっと切磋琢磨されてきましたから。 小林 ただひとつクレームがあって(笑)。インタビューか何かで宏介は『昔は悠に敵わなかった』って話していて、確かに小さい頃はそうかもしんないけど、それは小学校までなんですよ。中学からは俺が追いかける立場で悔しさもあったのに、宏介は『悠は天才だった』とか言うけど、それは違うと!! そこを訂正してもらいたい(笑)。 太田 でも、小学生の頃の悠は本当に凄かったし、悠のチームはめちゃくちゃ強かったんです。応援団とかも付いていて。それで選抜とかで一緒にプレーしていて、親同士も仲良かったから悠のお母さんの勧めで同じ高校にも行けて。 小林 でも高校では宏介は1年からずっと試合に出ていて、俺はBチームとかだったからね。 太田 高1の時、悠、めちゃくちゃ小さかったんだよね。 小林 宏介は当時から結構大きくて。 太田 でも身長の伸び率が凄まじかった。高校3年間の写真があって、シュンっていう背が高い友だちとの比較が面白くて(笑)。 小林 俺らスポーツクラスだったので、3年間同じクラスなんですよ。だから、あいうえお順も一緒で。 太田 で、悠の隣にはそのシュンという大きい友だちがいて、最初は背がすごく離れているのに、2年で並んで、3年で越していた。 小林 そうそう!! 太田 あれ40センチぐらい伸びたよね(笑) 小林 そんなわけないだろ!! でも、15、6センチ伸びたのかな。自分でも気持ち悪かった(笑)。でも今こそ笑い話ですが、当時はコンプレックスだったよ。技術には自信があったけど、スピードもないし、みんな成長期で身体が強くなっているし、なんで自分だけみたいな、悔しさが。何も通用しなくてサッカー辞めたいとも思っていたから。 ――高校時代がそのようなスタートだったら、中学時代も太田さんのほうが輝いていた? 太田 いや、中学時代はどっちも輝いてなかったです。 小林 どっちも暗黒時代だね(笑)。小学校は東京選抜とか関東選抜に入っていたけど...。 太田 中学ではふたりとも行方不明になっちゃった(笑)。 小林 そうそう(笑)。 太田 それで高校入ったぐらいで、ちょっとふたりとも茂みから出てきて(笑)。俺のほうが一歩リードして国体や横浜FC入りを叶えてという形だったね。 小林 だから俺はやっぱり宏介の背中を追っていましたね。大学時代(小林は拓殖大に進学)は宏介はプロで、自分は関東2部。4年間、宏介がJリーガーとして活躍している姿を見ていたから。 太田 俺はその頃、ワールドユース(U-20ワールドカップ)を経験できて、横浜FCから清水への移籍も決断して。 小林 俺、清水へ応援に行ったもん。 太田 その時、悠が大学3年かな。水戸の強化指定選手になると聞いて、その後、フロンターレに入った。確かあの時も、選択肢がいくつかあったんだよね? 小林 あったね。 太田 そこで悠は1番ハードルの高いフロンターレを選んで、すげえなと思っていた。多分最初に対戦したのは(小林がプロ2年目の2011年の)日本平(現・IAIスタジアム日本平)。悠にヒールキックで点を取られた。 小林 あれだよね、覚えているよ。 太田 俺は超悔しくて。若い時ってもうライバル心メラメラで、悠の活躍に俺は嫉妬していて(笑)。またゴールを取った、クソ、みたいな(笑)。結果をチェックした携帯を投げ捨てて何個壊したことか(笑)。