小林悠×太田宏介スペシャル対談。結果を見て悔しくて携帯を投げ捨てて(笑)。メラメラなライバル関係や感動的な代表での共演
「一緒に日本代表入った時はめっちゃ嬉しかった」(小林)
――でもそれだけ切磋琢磨できる相手がいたというのは大きいですね。 小林 ふたりで一緒に日本代表に入った時はめっちゃ嬉しかったよね。 太田 あれは本当忘れられないね。アギーレさんの時。 小林 ふたりとも母子家庭で育ったので、試合があったシンガポールに、お互いの母親を招待して。 太田 そうそう、ブラジル戦(親善試合)ね。 小林 自分らの泊っているホテルの隣くらいの部屋を予約して、その意味でも記憶に残る試合だよね。 太田 あの時、母校にも「太田宏介、小林悠、日本代表おめでとう」と垂れ幕を飾ってもらえて。学校にも恩返しができた想いだったね。 小林 そうそう、それも本当嬉しかった。 太田 ブラジル戦のひとつ前の国内での親善試合、ジャマイカ戦で俺がクロスを上げて、悠がヘディングしたんだよ。ラスト1、2分で。結構良いボールで。悠がそこで決めていたらめちゃくちゃ良いストーリー完成したのに...それ枠外かい!!、みたいな(笑)。 小林 あれは決めたかったな(苦笑) 太田 デンカビッグスワンスタジアムでの試合で。ふたりともベンチスタートで、悠のほうが残り15、20分くらいで先に呼ばれた。俺はそれをゴール裏のウォーミングアップゾーンで見ながら「俺も呼べ!!」と心のなかで叫んでいて(笑)。で、ラスト5分ぐらいで俺も呼んでもらえて、ショートコーナーをいきなりもらって、どうしようと思いながら、相手との1対1で仕掛けて、悠にクロスを上げた。あとは決めるだけだったのに...。あれが現役で唯一の悔いかな(笑)。 小林 あれは本当、申し訳ない(笑)。 ――その意味ではプロでふたりの関係性から決めたゴールはないわけですね。 小林 太田 ないっすね。 ――当時、太田選手が海外移籍した時も小林選手は刺激を? 小林 めちゃくちゃ刺激になりましたね。率直に凄いなと思ったし、本当にオランダ行った時は『行ったわ!!』と思って 太田 そしてすぐ『帰ってきた!!』って(笑)。 小林 早かったからね(笑)※太田は約1年、オランダのフィテッセでプレー。 太田 寂しかったんだよ(笑)。今みたいに周りに日本人選手も全然いなかったから。 小林 確かに当時と今では状況が違うからね。 ――でもふたりで刺激あったからこそ、ここまでの歩みがあるわけですね。 小林 それは間違いないですね。 太田 それはめちゃくちゃ大きかったよね。地元も一緒で、小さい頃から切磋琢磨してきた仲間がJリーグ、そして日本代表で一緒にプレーできるなんて滅多にあることじゃない。ふたりとも決してエリートではなかったし。だからこそ、この先の長い人生も何か一緒にできたらと願っていて。地域の子どもたちに、経験を還元できる活動とかもやっていきたいよね。 小林 宏介は色々そういう事業をやっているから、いつでも呼んでよ。 太田 それにこの間、京都の福知山でサッカー教室のような活動をやってきたのだけど、そこで悠のユニホームを着た子どもたちがいたよ。兄弟で、しかも今年のユニホーム。悠のことが好きで関西で行なわれる試合には、そのユニホームを着て応援に行っているんだって。 小林 本当に⁉ それはめちゃくちゃ嬉しいな。 太田 そういう光景を見ると、想像している以上に、応援してくれている人って多いって気付くよね。悠もそれだけの影響力があるってことだよ。 ――先ほど小林選手が点を取ると等々力が盛り上がるという話をしましたが、そうやって元気をもらっている人が多いってことですね。 太田 もう王貞治さんが打った翌日ぐらい盛り上がりますから(笑)。 小林 それは逆に王さんに怒られるわ(笑)。 太田 王か悠かってね(笑)。 小林 全然、上手くないから(笑)!! でも本当に応援していただいている方はありがたいですね。そういう人たちのためにも、もっと頑張らないと。 ――まだまだこれからですね。 太田 フロンターレにはひとつ上の家長(昭博)くんもいるからね。 小林 いやそうなんだよ。そしてソンさん(チョン・ソンリョン)も。上の人たちはまだまだ元気だから。 取材・文●本田健介(サッカーダイジェスト編集部) ■プロフィール こばやし・ゆう/1987年9月23日生まれ、東京都出身。177㌢・72㌔。町田JFC―町田JFC Jrユース―麻布台附渕野辺高―拓殖大―川崎。J1通算388試合・141得点。日本代表通算14試合・2得点。川崎サポーターに愛され続ける魂のストライカー。 おおた・こうすけ/1987年7月23日生まれ、東京都出身。179㌢・78㌔。つくし野SSS―FC町田―麻布台附渕野辺高―横浜FC―清水―FC東京―フィテッセ(オランダ)―FC東京―名古屋―パース・グローリー(オーストラリア)―町田。J1通算296試合・11得点。日本代表通算7試合・0得点。レフティSBとして活躍し、昨季限りで現役を引退。現在は町田のアンバサダーなどを務める。