戦時中に日本軍が比で発行した新聞を復刻 大阪の出版社
占領地域住民向け日本語新聞「ニッポンゴ」復刻版を出版――第2次世界大戦中、日本軍がフィリピンで発行 THE PAGE大阪
第2次世界大戦初期、日本軍が占領したフィリピンで、現地住民の日本語教化政策の一環として発行されていた住民向け新聞「ニッポンゴ」の復刻版がこのほど、大阪の出版社新風書房(大阪市天王寺区)から刊行された。神戸市の一般女性の手元に祖父の形見として保管されていた当時の新聞をもとに、紙面の忠実な復刻が実現した。戦後70年の今、占領地域住民向けの日本語新聞が発行されていた事実はあまり伝わっていない。日本語新聞の現物はほとんど残っていないだけに、復刻版は戦史研究の貴重な資料となりそうだ。
戦時中発行31号分紙面をまとめて復刻
第2次世界大戦の緒戦、日本軍は南方地域を占領し、戦勝国として占領地域に軍政を敷き、陸海軍の軍令部が統治していた。新風書房社長で「ニッポンゴ」復刻版を編集した福山琢磨さんの調査によると、日本軍は現地住民に対する日本語教化政策を推進するため、「南方軍政地域新聞政策要綱」に基づき、主要報道機関に地域を割り当て、軍部が接収した現地の新聞社と印刷所で日本語新聞を発行させた。 地域分担は毎日新聞がフィリピン、朝日新聞がジャワ、読売報知新聞がビルマなどだった。各社は日本から社員を派遣し、新聞発行に当たった。日本語新聞には2種類あった。現地で活動する邦人向けの新聞と、現地住民向けの新聞だ。 毎日新聞はマニラ新聞社を拠点に、邦人向けの「マニラ新聞」を1942年11月創刊。さらに現地住民向けの週刊新聞「ニッポンゴ」を43年2月、創刊にこぎつけた。今回は国内で発見された「ニッポンゴ」第4号(43年3月10日付け)から第67号(44年5月22日付け)までの中の31号分が、まとめて復刻された。復刻版刊行の端緒は十数年前までさかのぼることができる。
漫画風の絵入りで子どもに読みやすく
復刻版を刊行した新聞書房は88年以来、戦争体験者の体験記録を公募し、若い世代へ伝える証言集「孫たちへの証言」を年1回発行。福山さんは同シリーズの編集にライフワークとして打ち込んできた。98年発行、第11集の編集時、神戸市在住の山田貴子さんから「震災で発見された祖父からのメッセージ」と題された原稿が届く。 阪神淡路大震災で被災した自宅を修理する際、フィリピンの激戦地レイテ島で戦死した祖父溝二さんが戦地から送った手紙の束が見つかったという。貴子さんの原稿はその手紙をテーマに書かれたもので、原稿には小さな郵便物が添えられていた。 「軍事郵便の封筒の中には、古い新聞が入っていました。『ニッポンゴ』です。フィリピンの人たち向けに発行されていた『ニッポンゴ』を溝二さんが現地で読み、紙面の一部が絵入りの文章で子どもにも読みやすく編集されていることを知った。そこで、当時幼かった溝二さんの娘で、貴子さんの母親の富子さんが『ニッポンゴ』を読んで勉強するようにとの思いを込めて、神戸の家族へ送ったものでした」(福山さん) 溝二さんは出征前、郵便局員だったため、マニラの野戦郵便局へ配属された。郵便業務の利点を生かし、「ニッポンゴ」が発行される度に、幼い娘の成長を願ってせっせと送り続けたようだ。 「その後の調べで、『ニッポンゴ』の現物がほとんど残っていないことが分かってきました。貴重な戦争資料を記録に残すため、山田家の了承を得て、戦後70年を機に復刻版の刊行を決めました」(福山さん)