ついに小松島競輪場で初のガールズ開催!涙のデビュー戦から2Vの成長、大ケガ乗り越えた地元の22歳が瞳輝かせる/藤原春陽インタビュー
122期として養成所へ「ホームシックになりました」
晴れて日本競輪選手養成所122期の合格をつかみ取った藤原。養成所生活は彼女にとって初めての家族と離れて暮らす経験だった。 「ホームシックになりました。実家から荷物や手紙が届くことが楽しみでした。コロナ禍で夏と冬の帰省がなくなったのはつらかったですね」 122期はコロナ禍で帰省できなかったため心細かったようだ。 「集団生活がつらいと感じる時期もあったけど、同期のおかげで乗り切れました。1回目の記録会は青帽だったのに2回目の記録会で白帽を取ることができた。苦手な2キロタイムトライアルでは一緒のタイミングで走った河内桜雪といいタイムが出てハイタッチをして喜んだ記憶があります」 ※記録会の成績を元に与えられる練習帽の色の順…金(ゴールデンキャップ)→白→黒→赤→青 自分自身の成長も感じながら、最終的には在所成績7位で養成所を卒業した。
最悪のデビュー戦「帰りの車でずっと泣いていた」
2022年4月からルーキーシリーズを走り、7月に本格デビュー。デビュー戦は厳しい船出となった。 「最悪でした…」 予選2走を3、2着で決勝へと勝ち上がるも、決勝は押し上げで失格に。 「父と一緒の参加だったんですけど、いきなり失格してしまって、家へ帰る道中は父の運転する車の中でずっと泣いていました」 悔しい本デビュー戦だったが、その後もコンスタントに決勝進出を積み重ね藤原春陽の名前をアピールしていった。 「デビュー当時は前受けから戦うことが多かった。父や周りの選手のアドバイスでした。ガールズケイリンは打鐘から1周半のレースなので、後方にいたら何もできずに終わってしまう。それなら前にいたほうが成績は良くなると思って」 その勝負度胸も藤原のセールスポイントだろう。 「自転車競技を始めたときから併走や追走は怖いと思ったことがないんです。顧問の先生も『お前のレースを見ていると怖くなる』って言うくらいだった。併走で競いながら踏むことが好きだったし、前受けは自分に合った戦法だと思いました」