50年前にも存在していたアイドリングストップ・昭和49年・クジラクラウン編~昔のモーターファン探訪~【MFクルマなんでもラウンジ】No.5
今回の「なんでもラウンジ」はまた読みもの。 いまどきの技術と思われている方が多いであろう「アイドリングストップ技術」が、実は50年前にも存在していたというお話だ。 当時の技術でどのような働きを示したのか? そしてその効果は? モーターファン・1974年3月号から見ていこう。 題して「昔のモーターファン探訪」。 ※2024年8月14日23:00に写真を追加しました。 TEXT:山口尚志(YAMAGUCHI Hisashi) PHOTO:山口尚志/モーターファン・アーカイブいまやあたり前のアイドリングストップが1970~80年代にも 【他の写真を見る】ディーラーオプション! 50年前のアイドリングストップが搭載されたクジラクラウン。 いま、先進安全技術や省燃費技術は、あたり前のように新車に搭載されている。いや、満載というほうが正しい。 しかし、これら技術はいきなり表れて全盛期のいまを過ごしているわけではない。自動車会社がいろいろな研究を長年に渡って進め、ときには試験的に販売しては引っ込め、時代や形を変えてやっと日の目を見たという例も少なくない。 「アイドリングストップ」もそのひとつだ。2024年現在は少し減ってきているが、このところ省燃費技術の筆頭に挙げられていたアイドリングストップ機構は、1970~80年代にも存在していた。 今回は4代目クラウンの末期、1974年型車に用意されたアイドリングストップを、モーターファン1974年1月号からご紹介しよう。 クジラクラウンの時代にアイドリングストップがあった 1970年代のアイドリングストップが搭載されたのは、「クジラ」と愛称された4代目クラウンだ。 といっても、1971(昭和46)年の登場時点でラインアップされたわけではなく、1973(昭和48)年2月のマイナーチェンジからさらに1年を経た1974(昭和49)年1月に発売された。その正式名称は「エンジン・オートマチック・ストップ・アンド・スタート・システム(通称・EASS)」。 さきに「搭載」と書いたがこれは正確ではなく、少々風変わりな形で世に送り出されている。 いまの「トヨタ」は「トヨタ自動車株式会社」だが、もともとはクルマを造る「トヨタ自動車工業株式会社」と、クルマを売る「トヨタ自動車販売株式会社」とに分かれていた(1982(昭和57)年に合併)。 新技術の誕生は、日常ふと浮かんだ疑問や、普段何気なく目にしている光景がヒントになった…というのはよく聞く話だ。 ホンダのVTECは、技術者が飲み会で赴いた焼き鳥屋で目にした、店のおやじが焼き鳥の串刺しを転がしている様子がヒントになったというが、EASS誕生は、当時のトヨタ自販の加藤副社長が浮かべた「交差点でストップしているときになぜエンジンをまわしているのか」という、しごくまっとうな疑問が発端だった。 ときはEASS販売開始から3年ほど前・・・排ガス、光化学スモッグが社会問題になった頃だ。 風変わりなのはここからで、いまのアイドリングストップと同じ「自動車が停止したときは自動でエンジンを停め、発進時に即再始動」という、エンジン制御に介入するEASSが、トヨタ自販がディーラーオプションとして発売したこと、そして装着はそのときのクラウン(=クジラ)のマニュアルトランスミッション車、それも東京地区のクラウンMTに限られたという点だ。 1970年代半ばなのに周到なフェイルセーフ このEASSを、当時のモーターファン1974年3月号の中で、モーターファン誌に寄稿していた自動車ジャーナリスト、故・池田英三さんがテストしている。 アイドリングストップ用スイッチがあるのはいまもむかしも同じだが、いまのアイドリングストップは、「OFFにするため」のスイッチを押すことでアイドリングストップシステムをOFF、次に始動したときは自動ONとなり、システムがスタンバイ状態になる・・・つまり「作動ありき」の考え方だ。 それにひきかえクジラクラウンは、運転席右のリモコンフェンダーミラーつまみの下にスイッチが設置され、右から「ON」の黒ボタン、左に「OFF」の赤ボタン、その左に緑色のパイロットランプが並んでいる。 「ON」と「OFF」を併設させているあたり、EASSが、あくまでもその効果が未知数の試験的なものであり、気が向いたときによかったら使ってみてくださいという開発陣の控えめな思いが見え隠れしているようだ。いまのように、「スキあらばとにもかくにもエンジン停止!」とはいかなかったわけだ。 ところで私はこのEASSが出た少しあとの生まれだが、もし私がこの当時クルマ技術者で、「アイドルストップ装置を開発せよ」の命を受けたら、21世紀のいまよりもはるかにしょぼい電子技術をフル動員しながらも、単純に「車速0」「ギヤはニュートラル」「ストップランプ点灯」の3つしか条件にしないものを造りあげただろう。初ものだけに、この3つ以外に気がまわらなかったに違いない。 ところがこのEASSは、1970年代半ばの作品の割には、なかなかの周到さで造られている。ここではEASSが作動「しない」条件、そして作動キャンセルの条件をひとつひとつ並べてみよう。 【作動しない条件】 1.右ウインカーを作動させて停車しているとき。 2.勾配2度以上の坂道で停車したとき。 3.エンジン水温が90度以上になったとき。 4.消費電力が大きいとき。 5.アクセルを踏むか、クラッチを軽く踏んでいるとき。 【EASSがONでもキャンセルさせる条件】 1.運転席のドアを開いたとき。 2.スターターモーター再起動時にバッテリー電圧が7.5V以下になったとき。 これら条件から、EASSを構成するデバイスがどのようなものかの想像がつくというものだ。すなわち「スピードセンサー」「スロープセンサー」「エンジン水温センサー」「アクセルスイッチ」「クラッチスイッチ」「ターンシグナルスイッチ」「バッテリー」「その他」、そしてこれらを統合する「コンピューター」が「スターター」に指令を送るという仕掛け。 「コンピューター」といっても、当時は電子制御燃料噴射がやっと出まわり始めた頃で、いまのものとは段違いなまでに簡便なものだ。EASSを統合する「コンピューター」とて、21世紀のアイドリングストップよりもはるかに簡単な回路であったであろうことは想像に難くない。 それでは「作動条件」「EASSがONでもキャンセルさせる条件」のひとつひとつについて理由を挙げていこう。 【作動しない条件】 1.右ウインカーを作動させて停車しているとき。 右折待ちで右ウインカーを出し、クルマの途切れ目を狙って進もうとしたとき、エンジンが停止していたらタイミングを逸してしまう。最悪の場合、エンジン始動から発進までのタイムラグで対向車と衝突する恐れがあるわけで、右折とわかったときは初手からエンジンを停めない制御にするわけだ。 2.勾配2度以上の坂道で停車したとき。 上り停車ではクルマがずり下がる恐れがあるため。また、下り時にエンジン停止の状態で進もうとした場合、これは上り停車でのずり下がりでも同じだが、ブレーキブースター(ブレーキ倍力装置)が働かないため、エンジンは停止しない。 3.エンジン水温が90度以上になったとき。 オーバーヒート寄りの高めの温度のときは、再始動が困難になる恐れがあるため。 4.消費電力が大きいとき。 ヘッドランプ、クーラー、リヤデフォッガー(リヤガラスのくもり取り熱線)使用中は、消費電力が大きいため、作動しない。夏の夜の雨の日などは、バッテリーにとっては過酷なわけで、エンジンを停めるわけにはいかない。 5.アクセルを踏むか、クラッチを軽く踏んでいるとき。 このペダルの動きで「ドライバーはすぐ再発進する」と判断。これは1.の右折待ちと関連するが、敏速性を考えてのことだ。これはバックでの駐車操作でも同様で、切り返しのときにペダルを踏み変える都度エンジンを停止されるようでは、ドライバーは使いにくくて仕方ない。 【EASSがONでもキャンセルさせる条件】 1.運転席のドアを開いたとき。 エンジン回転中、EASS作動中に、EASSの存在を知らないドライバーと運転交代したとき、突然のエンストにあわてる恐れがあるため。 2.スターターモーター再起動時にバッテリー電圧が7.5V以下になったとき。 EASS作動中にバッテリーが低下してしまったら再始動が困難になる恐れがあるため、エンジン停止機能はキャンセルされる。 さすがにいまのクルマほど条件がずらりではないし、シートベルト装用義務化のはるか前のことだから、現代のように「運転席シートベルト着用・解放」がアイドルストップ作動・キャンセルの条件に入ってはいないが、当時として考えられるいろいろなことに配慮していることがわかる。 私が「よく気づいたな」と思ったのが「運転席ドアを開けると作動中でもキャンセル」の項目だ。いまのクルマが「アイドルストップ=発進待機中」の「ドア開」で、ドライバー不在の発進を防ぐのに対し、こちらはどうやら「あわてて降車される」ことを防ぐためのようだから、理由は少し異なる。が、私が当時の開発者だったら「ドア開」に作動停止の条件に入れることまで気が回らなかっただろう。 EASSの概要 このEASSは、市街地走行に於いて、クルマが信号待ちや渋滞で停止している時間が、全走行時間の多くを占めている点に着目し、燃料の浪費と、排ガスの中の、特にCO(一酸化炭素)の低減をねらいに開発された。信号待ちに渋滞・・・このへんが50年近く経っても変わっていないのは情けない。 それはともかく、当時のトヨタのテストでは、都内走行で燃費が10~15%低減し、10モードテストでCO排出量が30%内外に減少されることが確認できたという。 いっぽう、池田さんのテストでは、都心の混雑エリア16kmの1時間と横浜までの第二国道36kmを1時間で走った結果、途中78回停止・発進を経た間の燃費は11km/Lを記録、同じルートをEASSなしで走って5.6km/Lだったというから、運転の仕方や道路状況の違いはあるにしてもほぼ倍の違いが得られたことになる。 冒頭で述べたとおり、このEASSは東京で販売されるクジラクラウン用で、6気筒2000車と2600車のマニュアル車の新車オプション用。それもディーラーオプションだ。よって販売はトヨタ自販。信じられないが、つまりは当時ディーラーオプションでつけるのが普通だったクーラーやエアコン、フロアマットやカーステレオ、シートカバーなどと同じ扱いだったわけだ。 発売は1974(昭和49)年1月14日。価格は取付費込み5万9000円で、300~400セットの販売を見込んでいた模様。このシステムに関する特許を、アメリカに西ドイツ(当時)、フランスの3ヵ国で取得、日本とイタリアの2ヵ国で出願中(当時)だった。 このEASS、加藤トヨタ自販副社長の疑問とオイルショック(?)をきっかけに開発が始まり、燃料消費抑制をねらいに定めたのはよかったものの、当時のクルマの使用形態からすると、路上でエンジン停止というのはさすがに消費者にはピンとこなかったらしく、結果的に1年ほどで引っ込められてしまったようだ。 だが、トヨタはあきらめることなく、次の1980年代に、このアイドリングストップ技術をまた別のクルマでトライアルすることになる。 その話はまたいずれ、私が気が向いたときに・・・ ★おまけ(2024年8月14日23:00追加) 読者のみなさまへのお中元代わりに、さき掲げたモーターファン1974年3月号掲載の、クジラクラウンテスト走行の写真について、何とか場所を特定して2024年現在の同じ場所の写真を撮ってきたので追加でお見せしよう。 1974年1月と2024年8月・・・きっかり50年の時を経ての定点観測だ。 1.車内からの写真 モーターファン掲載写真では、前方信号機下に交差点名を示すプレートがないので明確な場所はわからないのだが、誌面の写真横の「東京・銀座通りの交差点で赤信号となりクラウンはストップ・・・」という池田さんの添え書きをヒントに銀座通りを走行。交差点を通過するたび、写真と同じビルがどれかひとつくらいないかと前方を眺める。 と、銀座1丁目交差点で怪しい(別に怪しくはないのだが)ビルを発見! 1974年版で、対向車線側に一部「・・・ター」とだけ見える看板向こうのビルと、2024年版で「4C」とある看板向こうのビル・・・エントランス形状、そして2階(?)から上がガラス張りになっている点が共通しているではないか! 自信はないが、掲載写真の場所はおそらくここだ。 天国の池田さん、ありがとう! というわけで、1974(昭和49)年1月と2024(令和6)年の、銀座1丁目(だと思う)の比較だ。 2.株式会社丸善前 本文中に掲載した写真にも添えたが、1974年版で、向こう側のビルの壁面にMマークと「丸善株式会社」の表記がある。調べたら所在地は東京・日本橋らしい。さらに調べたら同じ場所に建て替わった後の「MARUZEN」があるので、1974年版撮影場所は日本橋と断定。2024年現在の写真をお見せする。 なお、順序が逆になってしまったが、この写真のクジラの向きで泳いでいく・・・いや、走って行くと、前項銀座1丁目交差点にたどり着く。池田さんのいうとおり、本当に銀座通り上でテストしていたことが確認できた。 昭和アイドリングストップの記事なのに、定点観測が好きなもので、最後はMotorFan.jpを趣味で私物化してしまったことをお詫びします。
山口 尚志